苛つく世間

日々

のんびり

せっかくのお休みなのに、あなたはのんびり何もしないで過ごすことを恐れている。不思議なことに、一所懸命頑張っているのは、いずれいろんなしがらみから開放されてのんびり過ごすためにやっていることなのに、つかの間の休息の日に人混みにまみれて疲れてしまっているね。休み時間はそれまで我慢してきた遊びをやらないと無駄にした気になってしまっているのはどうしてだろうか。あくせく毎日働いているのも、この先働けなくなったときにのんびりと余生を過ごすためでもあるにもかかわらず、のんびり過ごすことをいつの間にか悪いことたとか、損していることだと思っているわけだ。ここで気がついてほしいのは、それはあなた自身がそう思って選択したものではなく、周囲に影響されてせっかくのお休みに何もしないで家でゴロゴロと過ごすことが悪いことだと洗脳されてしまっているからに過ぎない。大事なことなので2回繰り返すと、あなたはのんびり過ごしたいがために日々頑張っていたのではないのかな。

休みの本質

日々あなたは仕事や家庭に追われて、余裕がない毎日を過ごしている。それが実は思考停止になって、ただただ目の前にある課題をクリアし続けているだけに過ぎないわけだ。いわばそこでの創造性や自主性を捨てて、ロボットのようにミッションをクリアしているだけの時間を人生の大半を費やしているね。その言い訳としては、指折り数えたお休みの時間に、すべてを一旦整理してそこから見える新たな課題を抽出してよりクリエィティブに変えていこうと思っているからそれまでの辛抱だということだ。ところが、その待ち望んだお休みでできることといえば、まずは疲れた肉体や精神の休息に当てたいと思っているにもかかわらず、日々と同じようにお休みというミッションを思考停止してクリアしようとしてしまっている。それだと、あなたの本来のやりたいことやのんびり過ごすなどというのは実現する日が来るわけがないね。せいぜい動けなくて後悔するお休みを繰り返すはめになるぐらいのことでしかない。

生きる意味

そこであなたはなんのためにこの世に生まれてきたのかと自ら問い始めるわけだ。あなたはこの世を自由自在に謳歌して、生きる喜びに満ち溢れた人生を送りたいと思っているのにもかかわらず、現実の選択としてあなたがそれを選ぶことができるタイミングで、あえてあなたはそれを選ばないことの連続だね。そこにあなたの希望が叶えられるチャンスがあるにもかかわらず、それを選ぶことができないままでいるだけでなく、その選択肢を悪だとさえ思ってしまっている。そうやってまんまと誰かの術中にはまっているわけだ。不真面目より真面目であり、怠惰より勤勉なほうが良しとされているのはどうしてだろうか。考えてみればすぐに気がつくぐらいに薄っぺらい倫理観なのだけれども、あなたはすっかりそれにはまってしまっているから気がつく余地すら残されていない状況だね。それを見破った人が身近にいるにも関わらず、あなたはその人さえも馬鹿にして軽蔑してしまっている。その人はあなたに気がついてほしいからそばにいるとゆうのにね。その人達こそ実は神のつかいなんだよ。