奇跡の瞬間

日々

無理

無理とはあなたの本心とは違うことをすることだね。本当のあなたの心とは違う行動をし続けていると、心が疲弊して最終的には壊れてしまうことさえある。誰かを蹴落としたり、なにかを得るために嘘をついたり、周りの正しさを受け入れてもいないのに、それに迎合することが得策だと思ったりし続けている。そうやっているうちに、あなたがある意味誰かに乗っ取られて、もはやあなたはそこにいるのかどうかもわからなくなってしまうわけだ。それは決して、あなたが溶けてなくなったわけでもなく、ただただあなたの正体が損得だけの幻影になっているだけのことだ。そしてそれにいつも違和感があるものだから、どうにかしてごまかし続けていくしか方法は残されていない状態でもある。そんな無理を続けていく選択をしているのにもかかわらず、あなたはいつか助けられることを待ち続けて、現在を呪い未来を願うだけの毎日を過ごしている。

余裕

ある時、とても心地よい対応に出会い、心が浄化される瞬間を味わうことがある。それは、あなたを打ち負かそうとしているわけでもなく、かといって相手がビジネススマイルだけでなんとかあなたをおだてはやしていることでもない。そこにはまさに愛に溢れた空間がただただそこに広がっているだけで、損得さえも超越しているからそんな奇跡の瞬間が生まれたわけだ。そこにははじめから戦いの場もなく、どっちが正しいとか間違っているという競争もない。そうした瞬間に、あなたは本来の心を取り戻しているわけだ。だから心地よいし、愛に溢れた瞬間がそこに突然広がることで心地よいわけだ。ということは、心地よさとはギスギスした、どっちが正しいとか幸せとか得だとかという無理が全く溶けてなくなっている状態だということだとわかるだろう。そうした瞬間にはあなたの自我やエゴと呼ばれているものさえ、存在することさえできない。それを溶けてなくなっていると感じて、まさにその空間と一体化しているとも言えるわけだ。

導き

あなたのそういった誰が正しいとか幸せだとかという戦いの毎日から、あなたを安寧の場所へ導いてくれた瞬間に、あなたは本来のあなたを取り戻すことができる。だからそこに得も知れぬ心地よさを感じることができたわけだ。それはどっちが正解かという表層的な意識が消えてなくなったとも言いかえてもいい。今で言う神対応なんていう言葉で表現されているように、その瞬間あなたと誰かという枠組みを超えて、すべてが神になっている。逆に言えばあなたと誰かという境界線すら溶けてなくなっている。そこにビジネススマイルのような、表層的に相手が自己犠牲を伴う言動もないし、あなたがそれを勝ち取ったという勝ち負けもない。ただただその瞬間にそれらが消滅しただけのことだ。それをあなたは奇跡だと思うかもしれない。けれども、実は本来の姿に戻っただけのことなんだとわかるだろうか。逆に言えば普段あなたがあなただと思っていること自体が無理を貫き通しているだけであって、それを手放すだけで稀であると思いこんでいたその安息の地にいつでも降り立つことができるというわけだよ。