はっとトリック
多様な視点
物事を見るときは、一つの固定化された場所から見るのではなく、様々な角度から見ることが大切だとよく言われるね。そりゃわかっているけれど、なかなかその視点を移動させることは難しいんじゃないかな。それは物事を客観的に外から見ているつもりでも、実は物事は外にあるわけではなくて、内側からしか見られないから。そう、今見ているそれは全部自分の心の中で生み出しているからなんだ。はっとする見解に心を奪われるとき、それは思いもしなかった、そんな視点があるのか、なんてびっくりしているけれど、実はそれも自分の心がはっとする体験を生み出しているに過ぎない。要するに自作自演っていうわけ。はっとする視点は実ははっとするためにあなたが作り出したなんて言われても、にわかに信じがたいよね。
心にもないこと
本当にわからないこと、知らないことは何一つないんじゃないかな。いやいやそんなことありえないって思っているね。それがもう、はっとする入り口に立っていることになるんだよ。名演技は自分さえも騙して初めて名演技になるから感動を生み出すんだね。その体験をしたいがためにあなたの心は生まれてきた。はっと気づき、ぱっと目の前が明るくなる瞬間のために今日も暮らしている。人生の物語の主題は、はっと気づくシーンを体験することなんだよね。
世紀の大発見
はっと気づく、ああ、そうか。そういうことか、と見える瞬間に一体何が起こっているんだろう。ずっとぼんやりとしか見えなかったことが、急に目の前にはっきりくっきりその正体を現す。それが道筋や解決方法だったり、考え方だったり、視点だったりするね。この世のカラクリを見出したとき、その瞬間は手にとるように見え、そしてわかる。でも、よく考えてみたら一体何が見えて、何がわかったというんだろうね。ずっと前からそれはそこにあったんだよね。あったものが見えて喜んでいる。さらにその一連の動きは心の中での出来事。なら、あなたの心そのものは何でできているの?そしてそれはどこにあるの?
すべてを知っている
すべてを知っているからこそ、全てを知らない。ちょっと何言っているかわからないよね。はっと気づくための「よくわからない」という伏線を仕込んでいるってこと。ぼんやりと世の中にはいろいろあると思っているし、よくわからないことだらけだと思っている。だからこそ、そのピースがハマったときに「おお、なるほど、そういうことか」という体験が生まれる。なら、そのピースはどこから持ってきたもの?心の外から飛び込んできたものだろうか。どこを探し歩いたというのか。きっとそのピースも、はっとするきっかけのために、自らのポケットに隠し持っていたんだよ。長い間探していたものは、ああ、なんだ自分で持っているなんてね。そう思ってほっとする。心が安らぐ。すべてはその瞬間のための仕掛けだったというわけだね。
ということは、初めから犯人は安らぎを求める自分の「心」だったのか。これもまたお前の仕業なんだな。そのおかげではっとしてグーだよ。