塩梅
疲労
同じことをやっても、次の日に妙に疲れてしまうことがある。その違いはなんだろう。いつものように同じように過ごしているにも関わらず、妙に疲れてしまっているのは、おそらくその動作と心がずれてしまっているからだね。あなたの身体は物質でできてる。そしてその疲労はおそらく体内の代謝やホルモンバランスなどがうまくいっていないことが原因だとされている。でも、同じようなことでさえ、次の日もなんともなかったり、ひどく疲れていたりする。それは思考を超越していて、肉体的な疲労感で初めて感じる違和感だ。その状態は、心と身体のバランスがうまくいっていない状態だとも言える。その一方で、本来ならとても疲れてしまうようなことでさえ、なんともないときもあるから不思議なものだ。肉体という物質的にはおそらく疲労状態であるにも関わらず、これもまたホルモンという化学物質の作用によって疲労というよりも充足感で満たされているわけだからね。
無理
そうは言っても、その麻痺したボーナスタイムみたいな状況下に長時間さらされていると、ある日突然動けなくなるわけだ。もはや気持ちや心だけではなんともならない状況に陥っている。だから、そのときはゆっくりと休むことが必要だね。それでも無理して頑張ろうとすると、おそらくは保護機能みたいな最終警告が発せられ、病気になったり高熱が出て動かなくように身体は反応するわけだ。それにさえ抗うことは生命の危機に直面してしまう。そうなる前に力を抜くことが大切だね。そもそも全力疾走を長時間継続できないのも、物質の代謝に時間がかかるからであって、気合や根性でカバーできる範囲には限界があるわけだ。いわば体内でドーピングしてだましだまし動かしているわけで、それは緊急事態以外は避けたほうがいい。でも今ではなぜかその緊急事態であるという誤報が頻繁に起こるような社会だからこそ、普段から8割以上の負荷を避けるように適当に過ごす技術が必要なわけだ。
サボりの効能
あなたはそういう社会に生きている。だから、完璧主義を徐々に解除していく必要がある。そうでないと、身体を壊してしまっては今度はあなたが最低限やりたいことすらできなくなり、ついにはあなた自身という自我さえも崩壊していくだろう。そうなるともう負の連鎖が始まってしまって取り返すのが難しくなってしまう。もっとできるけれどもやらない、という状況を維持することが、実は最もあなたがやりたいようにやれるわけだからね。だから常に80点主義で行くのが最も合理的な判断なんだ。ここで一踏ん張りすれば、後は楽勝だと思っているのならば、不満ながらもここで一休みしても、おおよそうまくいくから大丈夫だと気持ちを切り替える練習をしたほうがいい。もう少しやれるけれどもあえてやらない。それは上手にサボっているのであって、結局のところ全てに対する適切な判断なんだ。それに気づくと、いつも全開でバリバリ行くぜ、なんていうほんの僅かな成功体験などにとらわれずに、いつもちょうどいい塩梅でのらりくらりと過ごすことが最適解なんだということがわかるはずだからね。