なんにもない世界で

日々

安心

安らぎを感じるとき、あなたはどこかに溶けてなくなっているときだね。あなたがしゃしゃり出て来ているときは、どうしてあなただけこんな目に会わなければならないのだとか、いつも損ばかりしているとか、今度こそぎゃふんと言わせてやろうとか思っている。そんな状況で安心できるわけもない。見るもの聞くものすべてがあなたに対して敵対心を感じるだろうし、うかうかしていたらすぐに足元を救われてしまうと本気で恐れている。そんな危機感でヒリヒリとした時間を過ごしているだろう。それでもちょっと気を落ち着けて、少しは冷静になろうと思って、あなたが信頼できるものを探し始めるわけだ。ところが、いつもよりも注意深く観察すればするほど、すべてに悪意が含まれているように感じてしまい、あなた以外に信頼できる存在が皆無だと感じてしまう。そして、風が吹いて草木が揺れるだけで過剰に反応してしまうわけだ。もはや世界のどこにもあなたの味方なんていない状況に陥ってしまうわけだね。

見えないもの

そういうときは、見えないものに気がつかず、あなたが見たい世界だけが見えている状況にある。あなたというメガネやフィルターを外してただ世界を見ることができれば、そこにはいつもと同じ光景が広がっていることに気づくわけだ。そういったときが安心して平穏な光景がそこに広がるわけだ。見えることの向こう側を見ようとすることは、あなたが単なる風景に付け足している状態でもある。ありのままに見ているのとはかけ離れて、すべてがあなた色に染めてさらに脚色したりしている状況だね。あなたが不安だから、不安な世界が広がっているのもそういう仕組みなんだ。あなたが落ち着いて平穏な状態だと、なんてことのない日常の一コマが広がっているのに、あなたが疑い出した瞬間に思いも寄らない危険がいっぱいの世界に変わる。すべてはあなたがそうしているだけのことだ。あなたが見ている真実とやらは、実はそれぐらいのものであり、拠り所にしたりするものではない。もはやそれらは信じるに足らないと言ってもいいね。

正義と正解

それは、あなたが信じているもののすべてだ。そしてそれはあなたがそうしたいからそう見ているだけのものだ。それには絶対的な正義はない。もちろんだからといって悪でもない。なんでもない宇宙の中で、あなたはこっちが正しいとか間違っているとかを言っているだけに過ぎない。ただ本当のところは、ただただなにもない空間が広がっているだけの世界でしかない。時折美しく見えたり、醜く見えたりする根本はあなたの心象風景でしかない。逆に言えば何もない世界だからこそ、あなたが無数の風景を生み出すことができるわけだ。これが正しいとかこれが正義だとかあまりに固執すると悲惨な状況になることはどうしてだろうか。それに気がついたときは、それらが実はどこにもないからそうなるとわかるだろう。正解という名のもとで人々が苦しみ、正義という名のものとで仲間がやられてしまう。だからといって悪魔に魂を売ったところでも結局のところ同じような不安しかない。ということは、正解も正義も失敗も悪もすべて不安の種でしかないわけだ。そこには依拠しないほうがいいのはそういうことだね。