正義と信頼
信頼
信じられるかどうかは、実はその中身ではなくて関係性から生まれている。だから、あなたがどれほど真実であっても信頼されないことが起こるんだ。すなわち、あなたが正しく、ほかが間違っているからあなたが信頼されるわけではない。そもそもその正しさもよく考えてみると結構怪しいのは、たとえ計算結果がそうであって数学的に証明されたから真実だと思っているだけで、その変数やパラメータを変えるととたんに違った結果になるかもしれない。あなたが知らないことはこの世界では存在しないことと同義だからね。正しさとか真実は概念であって、実際に手にとって触ったり見たりできるものではない。何が正しいかはどこからそれを見ているかということに大きく依存している仮の姿であると言っても良い。だから行き違いや見解の相違が起こるのは自然のことであって、まるでそれは雨が降ったり風が吹いたりするようなことでしかないわけだ。
天使と悪魔
間違っていることが悪だといつの間にか教えられてそれを唯一の拠り所にしている。正解が正しく、誤っているのは正さないといけない。そう信じていることは、いわばそういう宗教を信じているだけのことだとも言える。だから間違いは訂正されないと気がすまないし、正しさはより尊重されなければならないという気持ちになるわけだ。それ故に、自らが間違ってしまうことを悪だと思い、それはいけないことだと極端に恐れ、忌み嫌うようになる。それと同時に、他人がそうであるならば、それを正してあげないと、悪をみすみす見逃すことになってしまう。悪を許すと自らも悪になるという考えだから、どうしてもそれを許せなくなっている。そこで争いごとが生まれその思い込みは大きな被害を生み出していることさえあるぐらいに、もはや手が付けられないほどの強い力がそこにある。ただし、それは明らかにやり過ぎだ。でもあなたの善悪はそれ以上に恐ろしく強固になってあなたは支配し続けている。
基準
何が良いか悪いか、何が正しいか間違っているかで行動を起こしがちだけれども、その前に今一度見つめなす必要がある。あなたの正義感や善悪の基準によって、瞬間的にあなたは世界を一変させている。悪いに違いないというフィルターが、善悪の葛藤すら上手に避けられるからね。それを決めつけとかレッテルとか分類と呼ぶ。例えばあなたが思う悪い人がその場所に一人見つけたとしたら、その属性を持つグループを悪だと分類してしまう癖がある。あなたと考えが違う人が一人いれば、その仲間と思わしきものすべてがそうであると決めつけている。だからそうなると、そのフィルター越しにしか見えない。単にそう思って見ているだけならまだましで、それを正そうと思った瞬間、すなわち正義のために悪を根絶することで、正しさあふれる世界が構築できると信じたら、もうそれは理想の天国ではなく、壮絶な地獄絵図になることはすでに経験済みだろう。その根本はあなたに巣食う善悪からきている。そしてそれは揺るぎない真実ではないということだ。