気楽に生きる

日々

わかり合えない

あなたはあなたというイメージをあなたが生み出している。だから、誰かにあなたのことを伝えるのは難しいわけだ。あなたは当然のことのようにあなたという虚像を前提にしている。けれども、それは誰かにとっては理解不能なことなんだ。だから相互理解とか共感にズレが生じてしまう。それをあなたは不幸なことだと分類しているわけだ。けれどもよく考えてみれば、そもそもあなたしかわからない世界を前提としていることに無理があるね。だからそれを心を尽くして伝えようと奮闘しているわけだ。でもわかってくれと思うがあまりにどんどんその乖離は大きくなることは必然だろう。だから、やっぱり分かり合えないシーンがどうしてもなくならない。でもそれはそれで自然なことだと受け入れることができれば、そうであることをある意味楽しむことができるようになる。ありのままを受け入れるとはそういうことだね。

不幸の根源

どれだけあなたが誠意をもって接したところで、相手もそれを理解して受け入れてくれるかどうかは、雨乞いと同じで誰にもわからないことだ。だから、たとえうまくいかなかったとしても、まぁそういうこともあるだろうと受け流すことができる。でも、あなたがどうしてわかってくれないんだと強く思えば思うほど、あなたという虚像が強くなりすぎて、もはや他人にとっては魔物のように理解することがますます難しくなっていく。それをあなたは不満に思って、自らを不幸の世界に落とし入れて悲観しているわけだ。その状況を一歩引いてあなたという幻想から離れてみてみれば、なるほどそれはそもそも滑稽な状況だとわかるだろう。あなたがあなたであることに強く同化してしまうからそうなるわけで、あなたをやめて第三の目線をもって俯瞰することができれば、すぐにわかるはずだね。そこで大切なのはあなたはあなたであるという思い込みが強くなりすぎているときに、実は望まない状況を自ら引き寄せているということに気がつくことだ。

好きにすればいい

だから、特段誰かにどう思われるとか、あなたのことを理解してもらわなければならないとかという視点から少し離れることが大切だね。もちろん誰かを大切に思うことを手放しなさいと言っているわけではなく、それもあなたが幸せだと思えるから価値があるわけだ。ところが、それが実現できないとあなたが不幸だと思っているのならば、それは大いなる勘違いであり、茨の道となってしまう。だから、思いやりを持ちつつ、その出会いに感謝しつつ、そこに齟齬があっても気にせずにあなたがまずは幸せであることが必要なんだ。意外なことにあなたがあなたのやるべきことに夢中になっているとき、実はあなたが望むあなたを受け入れてくれる人が多くそばにいる状況になる。そのときあなたは相互理解だとか分かり合いたいとか思うことはない。ただただあなたが夢中になっているだけのことで、実はあなたが望む状況にどんどん近づいていくわけだ。