たくさん失敗しよう

日々

言葉

あなたの世界はあなたの言葉でできている。もっと言えば言葉にならないものはあなたの世界には出現しない。だから言葉化できないことがはじめからない世界を生きているわけだ。ところが、言葉にならない思いは確実にあるとあなたは感じている。確かにそれは言葉にできないこととしてある。でも、それを具体的に説明しようとしても本当の意味で言葉にならないのならば、それはやっぱり存在しない。その構造を理解したならば言葉にならないという言葉があるとも言える。すなわち、思考と感覚において常にギャップがある世界に生きているわけだ。なんとかそれを言葉化しようと尽くすことで、首尾よく表現できたときに、あなたの世界は一変するのはそういう理由だね。また開かずの扉が一つ開いたわけで、それを悟りと言ったりしている。でもなにもないところからそうなったわけではなく、あくまでも言葉の世界に仲間入りさせることができたということに過ぎない。

思慮

そういう意味では思慮深くあなたの世界を探求するための思考は、世界を開く鍵の一つでもある。しかしやっぱり言葉にならないなにかは、そのことでかえって増えていったりもする。そこで堂々巡りになってよくわからなくなるわけだ。考えれば考えるほどそういう連鎖に陥ってしまって、むしろ何も考えないほうが今を幸せにいきることができるということを再発見する。そう、考えることには二面性があって、もしかしたら開かずの扉を開く力がある一方で、それがかえって混乱の元になるが故に今を生きることを阻害する要因になってしまったりもするわけだ。そこで何事も塩梅があって、どちらか一方に極端に偏るのはかえって不幸になるから注意しなければならないと先人たちが伝えてきたわけだ。努力することを美徳だと思うがあまりに、怠惰は良くないと思うし、流れ流されて今を生きよと言われたとしても、やっぱり思考は止められなかったりするわけだ。

どっちもどっち

要するに答えを求めて思考の旅に出てみても、何も見つからないどころか、さらに複雑になってしまうことが多いのはそのせいだ。逆に毎日無気力になんとなく過ごしても、なにか物足りないと不満を感じるのも、今だけ良ければそれでいいということを真正面から肯定はやっぱりできない。だから、少しだけ背伸びをして、もっと新しい世界を見出して、あなたの見ている景色の範囲を広げようとしてしまう。それを無理にやめようとしても無駄なことでもある。でもあなたはどちらが良いのかとかどちらがベストなんだという答えを求める習慣から脱せない。どっちもどっちであり、どちらが良いとか悪いとか、どちらが幸せか不幸かとか、そういうものの見る癖をやめることが一旦の緩和策なんだ。けれどもやっぱりあなたにとっての解決は、一時的な仮説でしかない。だからやがてそれでいいのかという不安に襲われてしまう。でもそれらを繰り返すことが人生だと思えるかどうか。実はそれが今を生きるということなんだよ。