面白さの本質

日々

面白い

面白いことはどういうことなのかを考えてみる。それは予測不能だし、想像の外であるからこそ起こるものだね。思っていたのと違う毎日を不安に思うことが多いだろう。でもそれは見方を変えれば、あなたが面白がって生きていけるように、天から与えられたものだと気がつくだろう。いつも一寸先は闇で、もう数時間後すらあなたが思っていたこととは違うことが起こるのは、そういう意味ではあなたを豊かにするために与えれた宝物なんだ。だから、知らないことやまだやってもないことを先回りして不安に思うよりも、きっとなにか予想外のことが起きて、そのときに七転八倒して対応したことがいずれ良い思い出となって誇れる実績という体験を得ることができるんだ。すなわち、得も知れない不安は、必ずワクワクする思いに変えることができるわけだ。ならば、その心配は必ず杞憂に過ぎず、後で笑い話になるに違いないね。

知らないこと

そういう意味では、知らないことやわからないことがたくさんあるほど、ワクワクする経験をたくさんすることができる。手慣れたことには、ワクワクやドキドキが薄れてしまうのはそういう仕組みだね。もちろんあなたはそれを知っているから故に、難なくこなすことができる。でもそれは真逆で、そんな安定した日々があるから幸せかというとそうではないね。だから安心しているというのに、それに飽き飽きした毎日をつまらない日々として分類しがちだ。それがないものねだりやもっともっとと思う癖になる。あなたが求める幸せは、すでに叶っているというのにそうは感じないまままた新たな不満がそこに広がってしまう。だから知らないことやわからないことが山ほどあって、それに夢中になって取り組むことが実は面白く生きるコツのようなものだ。それがわかれば、あなたの人生はこれまでもこれからもおそらくは幸せに満ち溢れたそれだったと気づくだろう。

ステキな前途多難

だとすれば、あなたが困難に直面することが多いほど実は面白おかしく生きている証拠でもある。そこで感じる不安は面白さであると言ってもいいわけだ。だから、不満や不安に満ちた人生とは、一方で多大な幸せな人生である。それを不安ばかりでもううんざりだと決めつけてしまえば、あなたは絶望と不安の人生に一変してしまう。要するに同じ物事をどこから見るかで大きくその意味が変わるということだ。もっと言えば好きな方向から同じものを見る自由があるとも言える。さて、あなたは今置かれている状況を最悪と見て投げやりになるのか、それとも面白い人生だと嬉々として生きるのかは紙一重であるわけだね。もうなんで自分ばっかりついてないことが起こるのかと悲観するのも一興だし、なんて面白い人生なんだと喜ぶのも一興だね。いずれにせよ、そこに楽しさがおなじようにすでにあるのが真実だ。あとはそれに気がつくかどうかだけで世界はまるで一変するのはそういう理由からだよ。