自由意志は存在しない

日々

あなたがいない理由

あなたは自分の人生を完全に思い通りにはできないまでも、なんとか意思決定したり、選択したりすることで自らの意思があると思いこんでいる。けれども、冷静になってそれらを俯瞰すればすぐに気がつくだろう。すべては勘違いだということをね。例えばなりたい自分になったとしても、ちょっと思っていたのと違っていたり、選択したはずなのにどうしようもない状況で諦めざるを得なかったりということばかりだ。もっとシンプルに言えば、あと1時間もしたらぐっすりと眠ろうと思ったとしても、それすらままならなかったりする。もちろんそれがうまくいくときもあるから勘違いしてしまうわけで、実はそんなのは予想があたったぐらいの確率でしかないだろう。つまりはそういうことなんだ。だとすればあなたが色々と自由意志で決定していると思い込むことで、だからこそ決定者であるあなたが存在していると決めつけてきたけれども、ちょっとそれも怪しくなるわけだ。

関係性と機能

すなわち、あなたという存在はそれ以外の誰かやなにかがないと成立しない。あなたしかいないこの世であなたは存在できないわけだね。光が存在するのは影ができることで成立するわけだし、あなたが毎日散歩するのも、あなたの足と地面がないと歩くという機能が成立しない。すなわちあなたという言葉はそれ以外の関係性を表す機能を指しているだけの言葉だね。だからあなたそのものをいくら探したとしても、それは見つからない。なにかとともにようやく定義できる言葉でしかないからだ。そのあなたを裏打ちするのが自由な意思をあなただけで持つことができるという設定だけれども、それすらもありえないことだと気がつくだろうか。すべては関係性の中にそれらがようやく定義することができる、機能を指すだけの言葉に過ぎないとなれば、あなただけで存在するのは不可能だね。

言葉の世界

よってあなたの意思とか思考の世界は、概念上の仮想空間を指すものであって、実在するなにかを表す言葉ではない。その言葉の向こう側にあなたが存在するかもしれないけれども、どうにもそれを証明するのは無理なことだ。そういう関係性でようやく言語化できている自分自身というものを、まるで孤高の存在のように思うことは間違いの元になる。だからあなたがどれだけ熟考したところで、世界はなるようにしかならないわけだ。ならば思考を捨ててそのままを生きることが本来の自然の流れに溶け込むことができるわけだね。大いなる蠢きの中で、あなたは数多ある関係性の中でぽつんと生じた幻影に過ぎないのだから、あまり悩んだり苦しんだりするようなことを潔く手放すといいかもしれない。なぜならあなたの意思で世界が変えられるわけではなく、意思を手放したからこそ世界が動き出すのを感じることができかもしれないからね。