ムリムリ

日々

制限

知らず知らずのうちに、そんなの無理と思っていることがたくさんあるね。そこまで強く思っていなくても、どうせ無理だろう、とか、まぁ失敗するだろうな、と思っていることに阻まれて何もできないままのことがあるだろう。でもそれは現実のリミッターがある場合ばかりではなく、あなた自身の安全保護のために脳がその制限をしていることも多い。ここまで走れないとか、これは曲げられないとか、これは持ち上げられないとか思っていても、火事場のなんとかで緊急事態になったときにいとも容易くできたりするのはそのせいだ。できるんだけれどもそこまでやると身体を痛めてしまうとか、命に関わるかもしれないぐらいの力は出せないようにリミッターがかかっているわけだ。その制限はときに外すことができるね。それを気づきとか超能力とよんだりしている。でも能力を超えるのではなく、制限を外すといったほうがより正確だろう。

人生控えめ

最初は、かなり大胆に限界まで使えるようになっていた。子どもの頃はまさに怖いもの知らずで、どんな急斜面でも平気にすべり落ちていたし、鉄棒にもジャングルジムにも挑むときに恐怖心はなかったはずだ。むしろそこには楽しさと興味だけがあって、あの上には何が見えるのだろうとか、どれだけのスピードで駆け下りられるかとか、そんな好奇心だけがそこにあった。もちろん怪我も絶えなかっただろうし、ちょっと擦りむいたりしたぐらいではそれを重大なことだとは思いもしなかった。あとで振り返るとよく大怪我をしなかったなと思うこともたくさんあるだろう。それぐらい大胆に行動できたわけだ。その頃と大人になってしばらくした今のあなたと何が違うのか。肉体的な構造に衰えがあるものの、基本それほど変わってはいない。でもそういう経験からさらにあなたの脳がより強くリミッターをかけるようになったわけだ。

勇敢さ

大胆に行動している当の本人は、それが大胆だと思っていないからそれができるわけだ。ところが、それを傍で見ているあなたはその危険性を見出すことで、あんなふうにやるのはやめておこうと心に決める。そうして、あなたは何かをやる前にあらゆることにリミッターをかけていくようになる。もちろんそれは意識的にも、無意識的にもそれは無理、あれは無理、あれは危ない、それはやめてこうと重ねていくうちに、あなたはもはや意識上の幻影となっていくわけだ。肉体があるけれども肉体が傷ついたり壊れてしまうことを恐れるがあまりに、何もしない状態をずっと維持するようになる。さらには何もしないことが一番安全だと信じてやまない。これが現代のゼロリスク神話となるわけだね。なんかあったらどうするんだ、なんていうことをいう人が増えたのも、実はあなたもそう思っているからだ。なんかあったらどうするんだ、と問われたら、なんかあったときに考える、と答えるしかない。もちろんその逆に、なにもなかったらどうするんだ、という問いも同じなんだけれどもね。