ないものねだり

日々

そういうもの

もっと幸せになれるはずだともがき悲しんでいる。それがそういうものだと真正面から受け止めて、それを与えられた試練として経験を積み重ねていると考えるか、それとも損得で捉えてふさぎ込むのか、それを選択することができる。もっと言えばそれをありがたいことだと感謝するのか、忌々しいこととして憎しみ悲しむのかということだ。だからといって自虐的になれという話ではない。生きるというすべてをまるごと受け止めるのか、恣意的に自らの好みで拒絶するのかということであって、どちらにせよ事態が変化するわけではない。もっと言えばそれがそのようになっているだけのことで、あなたにはそれをどうにかすることはできない。自暴自棄になって衝動的に行動することぐらいが残されていて、少しだけ受け止めて悲しみとして涙を流すのか、それともそれを上手に受け流すのかというのが実際のところだね。でもそれらはすべてそういうものでしかない。

比較優位

それでもなにかあなたが優れている点を探そうとして、どこを見るかによって大きく結果が異なってしまう。もっと苦しい境遇を探して、それよりもましだとか優れているとか言い出すのか、それとも、そんな犯人探しをやめてそのまんま受け止めるのかで同じ境遇であってもその後が大きく変わっていくね。あなたはあなたで良くて、それ以上何も必要もない。にも関わらずやっぱりあなたが見ているなにかにかなり影響を受けてしまうことは否めない。今や情報が行き交っていて、あなたがどれだけ惨めで悲慘だという証拠はいくらでも見つけることができる。でもそれが本当にそうであるかどうかは検証すらままならない。その不確かさの中であなたはある意味自らの状況を確定してしまう癖がついてしまっている。それをしたところで、何も変わらないというのにね。そうして火に油を注いで自らを追い詰めてしまうわけだ。一番のあなたの鬱屈したその気分を生み出す犯人は、実はあなた自身だったというオチとなる。

すべてはどこにもない

それも永遠には続かないのはもうすでに知っている。いっときの感情の揺れをずっと気にしている。そうやってありもしない過去に縛られて何をやっても、何を見てもすべてが灰色に見えてしまうようになる。たとえ心が踊るような楽しいことがあったとしても、それもきっと裏側があっていずれ最悪の結果になると思ってしまう。あなたが犯人なんだから、あなたがそう思えばそうなるのは必然だね。そうやって予言者の振る舞いを幾度となく繰り返すことで、あなたのイマイチな人生を生み出してしまうわけだ。だからそこから脱却するのは、実はとてもシンプルでイージーなことだ。それをやめればいいだけだ。物事に色をつけているのはあなただし、それに良い悪いというレッテルを貼っているのもあなただし、その善悪の価値観にいつのまにか乗っ取られて支配され、そのままではいけないと命令しているのもあなただからね。あなたの心がそうするのならばその心を捨てれば良いだけなんだけれども、そうしようとすればすぐにわかるだろう。意を決してその心すら捨てようとするにも、どこにも見つからないというありさまだ。さて、あなたはいったい何に苦しんでいたのだろうね。