不幸を愛している

日々

どうにもならない

どうしても許せないことや、どうしてもできないことだらけで人生は苦だと勘違いしている。なぜそうなのかという問いを自ら立てて検証する力がないからそうなる。そしてそれらに対峙したとき、そのからくりが見えるだろう。すべてはあなたの思い込みでしかなかったという、とても陳腐な有り様をね。できないことはできない。けれどもできることはできる。許せないと思っているけれども、許せないと思い込むためにそうなっているだけだ。そしてそのあなたのものさしの陳腐さを感じたとき、あなたがこれまで依拠してきたものが、いかに恣意的に決めつけた表層的なものでしかないということに気づくことができる。おそらくはそこまで追及することもなく、ただただあなたは同じことを繰り返すが故に、人生においてのもやもやをいつまでも引きずっているだけだ。つまらないと思うならば、別の角度や視点から再考することすらままならないのは、それだけあなたは視野狭窄に陥っている証拠でもあるわけだ。

視座

何事もどう捉えるかはあなた次第で決まる。誰かが最悪だとつぶやいた状況であっても、つまらないと言われようと、あなたがそれをどうするかによってすべてが決まる仕組みだ。それなのに、みんながそう言うからとか、多くの人が同情してくれるはずだと勘違いするから、あなたは悲劇の主人公を安心して演じることができるわけだ。もはやそれはあなたという人生を放棄して、誰かの価値観に依存して生きているのと同じだね。そうして気がついたらあなたは自らの世界を一秒も生きてこなかった後悔に苛まれるだろう。ああ、もっと自由でよかったんだとか、もっとやりたいことをやって失敗すればよかったんだと気がついたときには、もはや残り時間はわずかとなっている。だから人生や世界を変えることはいつでもどこでも、今すぐできるよ、と言われるのはそういう意味だね。ところが、それを真正面から受け入れられないから、結局は時すでに遅しとなる結果が約束されてしまうわけだ。

悟り

覚醒したり悟ったりするために、余計な努力をしてなんとか人生を好転させようともがいている。けれども前述した意味では全くもってそれらは徒労に終わるに違いない。なぜなら、あなたが思う好転とはあなた自身の解ではないからだ。誰かの何かをモノマネして、そうであればきっと人生バラ色に違いないと勘違いしたものを目標だと勘違いしている。それもあなたに今不足しているものを足そうとしているだけであって、あなたが今有り余るほどの力に気がついていないからだ。ようするに大いなる勘違いのままこれまでずっと過ごしてきた。その勘違いにまずは気がつかないままに、どれほど目的と手段を峻別して計画を立てて幸せになろうとしたところで、結果は悲慘なことになる。もはやそれはそうなることをわざわざ選んでいるとも言えるね。もっと言えばあなたは幸せになってはあなたでいられないという恐怖さえ感じている始末だ。誰でも今すぐに幸せになれるという言葉がどこか胡散臭いと感じるのも、あなたがそれを拒んでいるだけのことだね。