つまらないのは豊かな証拠

日々

すでに幸せ

あなたは間違いなくすでに幸せの真っ只中にいる。そう言われたとしてもあなたはにわかに信じ難いね。すべてが思い通りにはいかない毎日だし、もっと豊かな人生を描いているのにも関わらずずっと叶っていないからだ。ところが、それこそが幸せだとすればあなたはどう感じるだろうか。そう、あなたは人生においていろんな苦難や試練ばかりにフォーカスするあまりに、すでに今持っているものに全く気づかない。つまらない人生だと嘆き悲しむだけの余裕がそこにあり、衣服も住むところも、贅沢はできないまでも生命の危機に陥るほど食べることにも困ってはいない。そんなことぐらいあなたの周りの人たちも当たり前のようにやっていることなので、それは幸せの一部だとはカウントされないわけだ。ところが、それすらもままにならない人もいることも知っているわけだ。死にたくもないし命を大切にしたいと思っていても、生まれた場所の状況においてそれすらもままならない境遇の人たちもいることをね。

比べる対象

あなたは、あなたが置かれた場所のおいての幸せを求めるがあまりに、豊かで安全な世界であればあるほど、そののぞみは際限なく広がっていることを気にしていない。あなたの基準はもはや安全で豊かなことが前提で、さらにその上にのし上がることばかりが幸せだと感じている。もちろん、下を見ればきりがないし、上を見てもきりがない。もはや叶っている夢は夢ではなくなり、それを所与の条件としてさらにその高みを望むことが夢だと思っている。それはそれで間違いではなく、それが良いとか悪いとかではない。けれども、それすらも満足にできない状況に置かれた人たちも事実として存在している。あなたの基準をどこに置くかで、あなたの世界は一変するわけだ。あるいは、この先そんな状況に陥ったとして、そのとき今のあなたを思い出しておそらくは実はそれが幸せだったと回顧するようになるかもしれない。いずれにせよ、何と比べてどうなのかということだけに依存しているだけで、絶対的になにか幸せの形があるわけではないね。

偶然という奇跡

たまたま、あなたは明日の食料も、安全に過ごせるかどうかも心配するほどの危機に瀕していない状況に置かれている。それ自体が奇跡であり幸せだと思えと言われても、あなたは困惑するだけだろう。その一方で、何気ない暮らしさえもままならない人たちもいて、あなたからすればそんな些細な幸せなんて、と思うようなことを切望しているわけだ。そこであなたは何を思うだろうか。毎日が豊かさで溢れていて、モノは有り余るほどの社会で生きている。明日命の心配をしなくてもよくて、何気ない普段の生活に飽き飽きしている。なら、刺激的な冒険活劇のような人生を望んだところで、やっぱりそんな不安定な状況は御免被りたいと思っている。もはやあなたはそういう意味では満たされつくされているから、そう思えるとしか言えないわけだ。だからどうと言うわけではないけれども、それを真正面から受け止めてあなたらしく豊かな人生を送れば良いだけのことだね。わざわざ架空の悲劇の主人公を演じなくてもいいわけだよ。