歩みを止めるな

日々

チャレンジ

チャレンジは成功も失敗も含んだ経験を指す言葉だ。だから、あなたの世界にはそれらが同居している。だからチャレンジしたところで、どうせ失敗すると思ってなにもやらないでおくのは、一見リスク回避だと思っている。命に関わるのであればそれは生き残り戦略として妥当だね。ところが、命までは取られないようなことにさえも、それを適用するのはやりすぎだ。その結果、特段失敗したところでどうってことのないことまでも、リスクを過大評価しすぎて窮屈な人生をわざわざ選択してしまっているわけだ。命がけでやることは避けるけれども、せいぜいあるのかどうかも怪しい名誉とかプライドが傷つくぐらいのことであれば、迷わずやればいい。やって失敗したところで、それは貴重な経験となって次の糧となり、あなたの人生の無数の扉が開くのだから、やっぱり成功と同じぐらいの価値がそこにあるに違いない。リスクを大げさに拡大解釈することで、身動き一つとれないまま今日という一日を過ごしてしまうのならば、まずはそこから考え直してみればいいね。

プロセス

その時点でうまくいったとか、いかなかったとかという結論も拙速すぎる判断だ。思い返してみればあなたもこんなことやってどうなるということに夢中になったり、将来役に立つかどうかなんて考えもしなかったことが、巡り巡って今のあなたを構成している重要な要素だったりする。もちろん、まだそんなふうには思えないこともたくさんあるだろう。いずれどうにかなるかどうかもわからないそれらが、実はあなたを豊かにしている。だから無駄なものなんてなにもないと先人たちが伝えているわけだ。何がどうなるかわからないのならば、今できることをやるしか残された道はない。この道をずっと歩いていけばどこにたどり着くのかわからないからと言って、歩みを止めてしまっては本末転倒だね。とりあえず遠回りでも同じ場所を周回しているとしても、歩みを止めないことがあなたの生きる道でしかない。何もせずに立ち止まっては、そういう意味では生きている時間を止めていることと同じだ。

代償

失敗したら心が痛いだけでなく、それなりの損失をあなたが被ることもあるだろう。でもそれを損と思うのか、必要経費だと思うのかもあなた次第だ。それが払いきれないぐらいのものであれば諦めるしかないし、なんとかリカバリーできるぐらいのものであれば、それは幸せなことだね。それぐらいのことですんだならばあなたはとてもラッキーだ。それでまた違うチャレンジが継続できるのだからね。それは神様にGoサインをもらったのと同じだと思えばいい。しかし、そうでなかったならば、一旦それはおいておけという天命かもしれない。いずれにせよ、どうにかなるのならばどんどんやってみればいいし、それはちょっとまだ駄目だということは手も足も出ないようにうまくできている。だからできることを安心して取り組めばいいだけのことだ。あなたの生きる道はまさにそれなんだからね。もっと他にも道がないのかと思えば探せばいいし、見つかればそれをやればいいし、見つからなかったら今まで通りやるしかない。そうなっているだけのことなんだから、身を任せて進むだけしかあなたにはできることはないわけだよ。