勘違い劇場

日々

思い込み

あなたはいつも、できれば自由にこの世を生きていきたいと思っているだろう。けれども実はそんなものはどこにもない勘違いだ。仮に自由に恋愛ができるのならば、あなたの理想の人と出会って一緒に過ごせるだろうし、それが永遠に続くだろうし、もしあなたの理想と違っているのならば、すぐさま違う人を探したりできるはずだ。ところが、あなたの恋はそうはうまくいかず、さんざん苦労を強いられる。好きな人と一緒にすごすだけでも、思うようにはならない。それは相手の気持ちが完全にわかるわけではないからだと思って、ならばあなたはあなた自身のことに関しては完全に好きなようにできるはずだと思ったところで、すれすらもままならないね。あなたが一番のあなたの理解者なはずなのに、不思議なことにそんなことすら自由ではないことに直面しているわけだ。そんなことの繰り返しで、あなたの意思で何かができるという思い込みは、どうやらそうではないらしいと薄々気がつくようになる。

流されるがまま

もうあなたの思いが通じないのならば、それを諦めてただ流れに身を任せてみるとどうだろう。最初は自虐的に感じていたかもしれないけれども、今度はトントン拍子で事がスムーズに運んだりする。あなたがこうしたいとか強い思いがないからこそ、あなたはどんなことが起きてもしなやかにそれを受け流すことができるからだね。いちいち後付の理由が考えてこじつける必要もなく、なにか必要ならばそれに対処し、楽しければそれをシンプルに楽しんでいる。もちろんそれであらゆる苦難が消えてなくなることはないけれども、だからといって必要以上に誰かのせいやなにかのせいにして恨むこともない。ただそれらの出来事は起こり、それをあなたができる範囲で受け止め、それ以上は受け流す。まるで川を流れる水のようにしなやかにかつしたたかに気がつけば振る舞っているわけだ。

信念と野望

だからといって、何も希望や夢、理想をそこに抱いてはいけないということでもない。こうなればいいな、とかこうしたいという欲望も自然に湧き上がって、うたかたのように消えていく。叶うことはほとんどないけれども、それが生まれ消えていくことを静かに見守っている。その動きそのものを眺めて楽しんでいるとも言えるね。その姿を脱力といったり、無為といったり、ありのままといったりして先人たちがあなたに伝えているわけだ。とにかくあなたができるという勘違いを捨てて、一歩離れてその変化のありさまを楽しむことができると、結局のところすべてが叶っているということにも気づくことができる。ならいつもの苦難は一体どこから来ているのかというと、あなたがその流れをわざわざ遮ったり、口出したりしているからにすぎない。その力を抜いた途端に、あなたは大いなる流れの中で、本来のあなたが何者であるかを知ることになるわけだ。あなたのほんとうの意味での自由はそこにあったのだとね。