悪を駆逐するには

日々

悪魔の奴隷

知らず知らずのうちに、あなたは善悪で判断するようになっている。そんなことしていたら悪い子になって、痛いしっぺ返しがくるよとか、天網恢恢疎にして漏らさずとか言われて、お天道様は見ているとか、そうやって善でいることをいわば強制的に強いられているわけだ。そういう意味では善悪教にまんまとハメられて身動きができないままでいる。ところで悪は悪でも程度の差があるにも関わらず、あなたは身近な悪を許せないようになっている。見えない大きな悪には無力だから、あなたの正義はそこに限界があるわけだ。その狭隘な価値観の中で、あなたは断罪している。そしてそれによる罪と罰を執行しているわけだね。かなり慎重になっているとはいえ、すべてを把握しているわけでもなく、そこに無理解がないといえば嘘になるね。テレビで見た情報だけで憤ったり、呪いの言葉をSNSでつぶやいたりしている。よく考えてみれば、あなたの善悪は絶対的な正義かどうかも曖昧のままにね。

呪詛

そうやってあなたはあなたなりに精一杯正義を貫くことが自らの役割だと勘違いしている。まるで正義の番人にもなった気分でね。それがヒーローもののストーリーであり、もはや憧れの生き様でもあるわけだ。ところが、あなたが善を貫き悪を駆逐しようとすればするほど、あなた自身はなぜか葛藤に苛まれるわけだ。悪だからといって懲らしめるという鉄槌が果たして本当に正義だったのだろうかとね。悪を懲らしめるために正義を遂行するのは自由だとしても、それに罪と罰を背負わせるのは同じことのように見えているけれども、実は全く次元が違うことだからだ。仮にあなたの思う悪を殲滅できたとして、果たして皆が笑って過ごせる世界が訪れるだろうか。あなたは本能的にそうではないのではないかと危惧しているね。その直感はどこからくるかという悩みがそこに立ちはだかっているわけだ。悪を裁くのは果たして正義が増える行為なのか、それとも正義という権力の横暴なのだろうか。

報復の連鎖

善悪教を信じていれば、悪者はとっちめることが正義だ。悪い人を見逃していては、いつまで経っても平穏な世界が訪れることはないと信じているからだね。歴史のすべてを知らずとも、これまでずっと苦しめられた復讐を実行することで、あなたはの気持ちはスッキリと晴れやかになる。それが事実であればそうなって終わるはずなのに、まるでそうならない現実もそこにある。復讐は新たな報復という連鎖を生み出し、おそらくどちらかが全滅しない限り終わらない。仮にそうなったとしてもそれがあなたが望む世界だったのかと問われることがあれば、素直にそうだと言えないもやもやがそこに残っている。いずれにせよ、仮にそうなったとしてそんな争いごとが全くなくなるかといえば、あなた自身もその問いに対して明確にイエスと答えられない。不思議なことに、あなたは正義を遂行しただけなのに、なぜか正義の世界は実現しようにもない。となれば、そもそもあなたの正義とやらは、一体何だったのだろうか。それに勇気を出して向かい合うことがまずは必要なことなのかもしれないね。