完璧という不幸

日々

不完全

あなたはいつもできれば完璧になりたいと思って、いろんなことに手を出しては諦めている。どうしてもっと背が高くないのだろうとか、どうしてもっと頭が良くならないのだろうとか、どうしてもっと容姿端麗でないのだろうとか、そんな理想と夢を追いかけているね。それが生きる励みとなって、あなたを力強く前進させているとすればそれはそのほうが良かったとも言えるし、それが後ろ向きになってもう何もかも面倒事となって苦しんでいるのならばさっさと手放したほうがいい。できないことはできないとまずは認めることからすべてがスタートするのだからね。なければないなりにそれ以外の武器で戦うしかないからだ。しかもその戦いには終わりはなく、勝ち負けも曖昧だから決着なんてつかない。ならばいっそのこと降伏宣言をしてしまって、すべてをまるごと受け入れることでその不毛な戦いから逃れられるとも言える。いわば不戦勝だね。

喧嘩

喧嘩するには同じ土俵に立たないと始まらない。戦いは同じ価値観を押し付け合うところから始まるからだ。その代表が善悪という魔物だ。良いとか悪いとかよくよく考えてみればそれほど確固たる根拠があるわけではなく、これまでに見聞きしてきた慣習によってなんとなく絶対的なものだと信じているものでしかない。それが証拠に国が変われば価値が変わり、風土も文化も異なっている。その違いを認めることが一番の勝利だとも言えるけれども、どうしてもそれを受け入れがたいと思うときに、壮絶な戦いとなって、しかも終わりなき争いとなるわけだ。それは先にも言った通り勝ち負けで決着をつけようとすれば、あなたと違う異物を殲滅するしかないからだ。悪い病気が蔓延したのと同じで、その恐怖から開放されるにはその病をゼロにしないと勝利宣言が出せない。それはあなたにとって悪そのものであり、それを見逃してしまってはあなたも悪の手先となってしまうと思い込んでいるからだね。悪が絶対的に悪いことだと定義してしまえば、やっつけることが善であり、たとえそれがそうならないとしたらあなたも悪の仲間入りとなってしまうのだからね。

不足が豊かさ

そもそも豊かさとはそうやって不足しているからこそ得られる感覚だ。不足がなければ豊かさという概念すら存在し得ない。悪も同様で、悪がなければ善なる思想はそもそも生まれることもなかっただろう。悪があるからこそ、あなたはそれを見てどういう行動をするかという選択肢を与えられる。不足があるから願うことで叶える夢と希望がそこに生まれる。すべてはあなたにとって必要なことであり、所与の幸せの一部そのものだと言っても過言ではないだろう。その共存の間で揺れ動く人生こそが、素晴らしさを感じる必要条件なのだからね。それなのに、不思議なことにあなたは完璧主義にいつの間にか陥ってしまっている。それが幸せになる道ではないことは明らかなのに、その上で幸せになることを望んでいる。まるでそれは後ろ向きに全力疾走しているようなもので、決して前には進めない状況を願っているわけだ。しかもそれは無意識のうちにそうなっているとすれば、あなたはもはや誰かに操られてしまっているようなものだね。そのことに気づいて早く悪夢から目覚めるといいね。