揺れる想い

日々

バランス

なにかに偏っているときに、願望が生まれるわけだ。あなたがなにかになりたいと思うときは、数多ある選択肢の中からそれを選んでいる極端な状況だし、誰かの幸せを願うときでさえ、多くの他の人よりも幸せになるというとても極端な状況を思い描いている。それをあなた以外が見たときに、なんて極端でわがままなんだろうと思うようなことを、あなた自身はなんの屈託もなくそれを信じて願っている。こうなりたい、ああなりたいという思いだけはどんどん膨らんでいき、ついにはそれがないと生きる希望さえ失ってしまうぐらいの偏りなわけだ。そんな極端な状況が本当の意味で幸せなんだろうかね。あなただけが良くなるということではないにせよ、あなたが思う勝手な世界観を知らず知らずに万人にも押し付けようとしていることなんだからね。大抵の場合の切なる思いというのは、それほどバランスが取れている状態とは言い難いわけだ。

無の境地

そういう雑念というか、偏りをすべて取っ払った状態が、無の境地だね。そういうともはや生きているのか死んでいるのかさえわからないような状況だと勘違いするかもしれない。そうではなく、よく言われる瞑想とか無の境地というのは、そういう偏りを一切なくして補正することなんだ。何かを強く願ったり、逆になにも思わない不感の状態でもなく、ただただすべてが叶っている願望成就の世界となる。独占欲とかあなただけがなにかになるとか、たとえすべての人が幸せになりますようにというのも実は偏っている。そうではなくただ今をありのままに受け入れて、何も加えないし何も変えないそれを感じてあなた自身もそれに溶けてなくなっている状況を指すわけだ。そこには何も偏りがなく、すなわちひたすらフラットにすべてが叶っている状況であるとも言い換えられる。一瞬でもいいからそれを感じることが、あなたの現状を把握するに必要なことなんだ。

欲望

現代社会は、欲望を加速させる仕掛けがあちらこちらにあふれるほどたくさんある。そのトラップを上手に避けて生きることすら難しいぐらいにね。だからいつもあなたは偏っているわけだ。それすらも気がつかないように巧妙に仕組まれている中で、ほんのひと時でもそこから離れることができるのが、瞑想だったり無の状態だ。だからこそできればそういう時間を取るのがおすすめだし、その補正するチャンスがないともはやあなたはどう偏っているのかもわからないままになってしまう。欲望とは、本来平穏で真っ平らなあなたの重心や軸足を狙って攻撃されているときだけに生まれる、いわば異常事態であることを知っておこう。そして、その欲望はバランスが崩れているが故に、やじろべえのように静止状態になるまでには右へ左へ振り切れることによって際限がないように感じているだろう。やじろべえを静止させる最短の方法は、そのバランスのために偏った力を与えることではなく、偏りを与えないことが一番だね。そう、あなたはずっと静止していることに気がつくだけで、そのゆらぎは幻想だと看破できるね。