ムダという幻想

日々

ムダ

効率化が重んじられる現代社会において、最も忌み嫌われることがムダなことだ。それをやって何になるとか、目的に反して遠回りするようなことは忌み嫌われている。それ故に余白や遊びがなくなって息が詰まるようなヒリヒリした毎日を過ごしているかもしれないね。合理性ばかりが強調されるが故に、非合理な遊びが認められにくくなっているからだ。ところがあなたが好きになることは、直接人生にとって有意義だとか、地位や名誉を向上するものだとか、そんな合理性とは関係のないものばかりだったりする。だから自分自身でうんざりしているかもしれない。けれども、人生そのものが空でありフィクションであるとすれば、その不合理さが一番の生きる喜びだと気づくことができるだろう。ディズニーランドなどのテーマパークでミッキーマウスが実在するのかどうかなんて議論するだけナンセンスだね。ミッキーマウスは実在はしない。けれどもそれぞれの人の心の中に確実に存在するわけだからね。

テーマパーク

あなたが生きてるこの世は、仏教で言うところの空であり、物理学で言うところの原子やクォークで構成されている。それらはゆらぎのなかにあるようなないようなものであり、形どっているように見えて波動であり振動でしかない。要するにあなたやそれ以外すらも幻想であってフィクションでしかないことを示唆している。だからあなたがみたいものをそこに見ているだけであって、それがムダかどうかもあなたが決めている。それを排除することは、あなたの幻影すらも否定することになって、何もなくなってしまう恐れがあるね。ムダはむしろあなたが楽しんでいるそれらすべてであって、効率化ばかりを求めると息が詰まるのは、結局のところそれは生きることへのアンチテーゼとなっているからだ。そう、あなたはあなたが見たいように楽しめばいい。あなたがテーマパークで夢の世界を楽しむようにね。そもそも実在する何かなんてこの世にはなにもないのだからね。

関係性

あなたはコーヒーを飲むのが大好きだ。香りを楽しんでつかの間の穏やかな時間を愛している。しかしそれらをよく見てみよう。あなたのお気に入りのカップはもともとは土でできていて、土がカップを演出してくれているともいえる。コーヒー豆もよく見ればもともとは緑色の木の実でしかない。それに熱を加え焙煎することであなたが好むコーヒー豆となっていくわけだけれども、あなたはそれをこの宇宙の大地の恵みだということを知っている。そもそもそれらは、水であり、土であり、太陽のエネルギーで構成されたものばかりだ。幼い頃に砂場でままごとをしたのと、今あなたがゆったりとコーヒーを嗜んでいるのはなんら変わらないことに気がつくだろうか。そもそもそれらはすべて宇宙のエネルギーが形を変えてあなたの世界を彩ってくれているだけであり、万事がそうだとすれば、あなたはこのテーマパークを楽しむことが生きることそのものだね。ムダがあるとかないとかも好きにすればいいのだけれども、ちょっと行き詰まった感じがするのならば、それすらも幻想なのだから手放せばいいだけだ。そういう意味ではこの世にムダなものは何一つないとも言えるわけだね。