ゆっくりしてね

日々

待つ

今は時間もコストの一部だと考えられていて、タイパなんて言う言葉が生まれたようだ。短時間で成果を得られないものはタイパが悪く、それは仕事でも趣味でも娯楽でも同列に時間という架空の軸で判定されるらしい。人生において時間の無駄という本質を極力抑えることで、コストパフォーマンスを最大化できると思ってのことだろう。けれどもそれは本末転倒だとしたらどうだろう。人生を生まれてから死ぬまでの極めて限られた時間だと捉え、もはや余計なことをしている暇なんてないという価値基準がますますあなたを苦しめてしまっているのではないだろうか。ダラダラ過ごす時間があったり、遠回りして道草をしたりする楽しみすべてを悪いことだと思うのはあまり得策ではないね。もしあなたがやるべきことを素早く見つけて、それを完遂することが目的化すれば、それをやり終えたならばすぐさま人生の幕を下ろすべきだという変な考えを信仰しているようなものだからね。

学び

リスキリングとかで、生涯学びを止めないということが盛んに言われている。学びは正解を知ることではない。本来の学びはたくさんの失敗例を実演していくことにこそある。そういう意味では先のタイパは著しく悪いものの部類になるだろう。インスタントにすぐさま正解がわかることが良いことで、遠回りしている場合ではなく、グズグズしている時間はまさに人生の浪費だとしたならば、あなたの脳に電極でも指して、これまでの先人の知見をデータベースとして入力することが最も効率的なことだろう。まさに今それに近いことが起こりつつあって、実際に手を動かしてわざわざうまくいかないことを確認するような実験などは、忌み嫌われている。それが証拠に幼子であっても、面倒くさいと言うようになっていることに驚きを禁じ得ない。そう、知識として見聞きしただけで人生を良い悪いと価値判断してしまっているからだ。

止まったまま

タイパ重視の社会は、まるで時計の針が止まったまま風化していく様子を見ているような感じがする。ある意味時間という概念は言葉によって生まれているのが再確認できるだろう。時間を生み出している犯人は言葉であって、それも秒単位で意識することができるのもそれのおかげだ。だから多くの大人は、少しばかり電車が遅延しただけで苛立ち、コンビニのレジ待ちで舌打ちをし、朝支度をのんびりマイペースでやる我が子を叱りつける。素早くできないことを悪いことだと教え、徹底的に育てた結果がタイパ重視の社会に変化したわけだ。ゆっくりと何度もページを行き来しつつもその世界にどっぷりと浸るような読書の時間を持てず、したがって人類に変革をもたらした出版という技術もデジタル化しつつある。会社でも学校でも、期限までに決められた結果を出せないと著しく評価が低くなるのも、仕事ができるというのは、短時間で同じ結果を出せることを求められているからだ。そんな社会でゆっくりできる休日にも同じようにせわしなく過ごしてしまうのもそのせいだとしたらかなり重症だとも言えるね。