スタートライン

日々

元通り

しばらく生きていると、いろんな影響を周りから受けていつしか生まれたときからはずいぶんと変わっていることに気がつくね。結局のところそれを知らせるための試練とか困難さが目の前に現れて、仕方なく対処しているうちに、それはあまりにもあなたの日常と思っていることがもともととは違ったものになっていることを知らせてくれている。だからちょっとそれらをなんとかやり過ごしたときにホッと一息つけるわけだ。それと同時にこれまでの当たり前が書き換わって、なんだか清々しい気分になったりもする。でもよく考えてみればそれは本来のあなたに少し戻ったとも言えるね。夢中になっていたあの頃は、今よりも困難だったはずなのにいい思い出になっている。よく考えてみればあれでよくなんとかやっていけたなと感心することばかりだ。もちろん思い出補正がかかっているのでそれらも過去ではなく、今作られた過去なんだけれどもそれにしてもなんともなかったのは奇跡だと感じているね。

校庭

あなたはこれまで前に前にと駆け抜けてきたつもりだ。ところがそういう節目に振り返ってみれば実は校庭のトラックをずっとぐるぐる走っていたに過ぎないことに気がつくわけだ。あなたは思えば遠くに来たもんだと感慨深く感じているけれども、俯瞰して眺めてみれば校庭から一歩も外には出ていなかったりする。そう、走ってきたのは事実だとしても、結局はグラウンドをぐるぐる回っていたに過ぎないという事実に驚きを禁じ得ないね。そうしていつしかここはかつて来た道だと気づくわけだ。ずっと前しか見ずに走り抜けてきたけれども、あなたは同じところを少しだけずれながらぐるぐる周回していたに過ぎないとね。そこで絶望を感じて投げやりになるのか、それともなるほどそういうことかと気分も新たにまた周回するのか、それによって見える景色はずいぶんと変わるだろう。

走り続ける

そうやっていつかはその場所で立ち止まる日を迎えるわけなんだけれども、それをどう受け止めるだろうか。結局は何も変わらないムダなことばかりだと思うのか、それとも何周も回って来られたことに感謝するのか、実はそれぐらいの違いでしかない。だから何も焦る必要もないし、かといって投げやりになることもない。しっかりと足元を感じて、地面を蹴っている感覚を掴んで、空気や温度を感じながらまた走り出すことができれば最高の人生となる。しかも、少しばかり疲れたときは気楽に立ち止まることもできるし、元気になればまた夢中になって走り出すことも容易になるね。この先どうなるかわからないと得も知れない不安もなくなり、安心して飛んだりはねたり、歩いたり立ち止まったりができるようになる。それが気づきであり悟りと呼ばれるものである。身も心も軽くなって校庭を駆け回ることができるようになるとあなたは校庭の神になれること間違いない。いつでもどこでもあなたはスタートラインに立てるわけなんだからね。