静かにして
変容
そもそも絶対的な幸せとかあるわけではない。言葉では表せない状況のことを指していることは薄々感じている。ちょっとした暮らしの中での安心感であったり、朝飲むお茶がとても上手にいれられたり、目玉焼きがちょうど黄身が半熟になったりと、あなたのほんの少しばかりの希望が思いがけないうちに叶ったりすることだ。でもそれを誰かに伝えようとしても、おそらくはどんなに言葉を尽くしても不十分だろう。一方で絶対的な不幸も同じだね。これほど最悪で崖っぷちの状況なんて世界中であなた唯一人だろうと思って、誰かに話したとしてもさらにそれ以上の不幸話があったり、もしくはそれがどうしたと言われてあなたの悲しい思いが全く通じなかったりする。ようするに、言葉の世界で幸せとか不幸とか、善とか悪とか言っているけれども共通のようでそうではない。もちろんそれらはすべてあなたが勝手にでっち上げた幻であるからがその理由なんだけれども、あなたはその世界の住民としてはどうしても納得がいかないわけだ。
瞬き
あなたがそういう感情になるのは、あなたのせいではない。どこからともなくそういう気分が突然現れるわけだ。もはやそれはあなたの気持ちなのかとよく考えても実はあまりよくわかってないね。物語の主人公の境遇が悲慘だったり、見ている映画俳優の役どころに同化したりしてそういう気分になっているのと何一つ変わらないものだ。ということは、あなたは自分ごととしてそれを捉えているけれども、大いなる勘違いでしかない。だからそれを言葉を尽くして誰かに伝えようとしても、その状況がなんとかわかるぐらいで、だからといってあなたはもう絶望しか残されていないというのは滑稽なわけだ。どうして誰もわかってくれないのかと憤りを覚えて、あなたはあなた探しの旅に出たりもするけれども、結局探せば探すほど迷路に迷い込んでしまう。それはある意味当然で、あなたが思っているあなたは始めっからどこにもいない。その気分や感情も湧き上がるように勝手に生まれては消えていくわけで、それを言葉にする段階ではもはや昔話と化しているのだからね。
同化
そんなあなたにも一瞬の静寂が訪れることがある。そのときは湧き上がる感情もなくなるのと同時にあなたもいなくなっている。だから誰がどうだとか、これを伝えたいという気持ちすらもない状態だ。よく幸せとは完全に一体化することだと比喩されているけれども、シンプルに言えば自然状態にあるということだね。あなたはいないという事実だけがそこにあり、自然とともに一体化している瞬間があなたの正体なわけだ。普段は静かにしてようと努力していても、いろんな雑音に心を奪われている。まさに心ここにあらずの状態が普段の暮らしとなっている。現代社会の罠によって巧みに本来の姿からは逆転させられているわけだけれども、まれにその効力が切れる瞬間だとも言える。それを夢や希望として叶うことを願っているけれども、それも罠であって、それらは夢や希望という類のものではない。あなたの正体がもともとそうなんだからね。