気が付かなかった

日々

慣性

動き続けるものはずっと動き続けて、止まっているものはずっと止まり続けようとする。これは地球に重力が働いているからだとされているが、あなたの心の中も同じ具合じゃないかな。やったことがないからやってみようと思うけれども、やったことがないからその一歩を踏み出すのに躊躇し続けている。いつもの習慣でやっていることがあまり良くないから改善しようと思っていても、なぜかいつものやり方を続けてしまう。物理的な運動法則がなぜか心の中にも効いているのは不思議なことだね。冒険は楽しいけれども、骨が折れるし気が気じゃない。だから最高に楽しいのはわかるけれども、少しは楽して安心したいだろう。それがいつの間にか前例主義となり正解がそれだと決めつけるようになる。ちょっといつもと違ったやり方でやってみたら、それこそえらい目にあって心が折れてしまうのも、いつものようにやることがお手本となっているからに過ぎない。果たしてそれはベストな解答なんだろうかという疑いをも排除するぐらいに強い力がそこにある。

やらなかったらどうなる

改善がなかなかできないとか、ライフスタイルを今更変更できないという仕組みはそこにあるのだろう。もちろん、それ以外にも要素は多数含まれている。改善だとやってみたら、ふと前にもそれをやってダメだった記憶が蘇ったり、もうそれが不要でないかとやめてみたら、直接的にはそれが作用してなかったとしても別のうまくいかないことが起こったりする。だから、いつものようにやることが安心につながっていると思い込んでいる。それにしては、日々失敗して苦労しているにも関わらず、それが原因だとは夢にも思わない。朝起きて気だるいのは寝る前にやっていた習慣がその原因かもしれないのに、なんだか今日は調子が悪いななんてぼんやり思っている。なにか普段やらないことをやってそうであるならば、あなたはすぐに原因を突き止めることができるというのにね。日々の習慣があなたを構成している重要な要素であるにも関わらず、やっぱりそれを変えようとしてもなかなか変えられない理由はそこにあるわけだ。

思考停止

そういう行為を思考停止だと言って忌み嫌う傾向にある。だからあなたも思考をフル回転して問題点を洗い出しているつもりだ。ところが染み付いたそれらの行為を一つずつ分析して把握するなんていうことは、ほぼ不可能だね。朝起きて歯を磨く、顔を洗う、衣服を整えて朝食を食べる。それらの流れの中にどこに改善点があるのだと不思議に思うだろう。朝起きなければ会社に行けないからダメだし、衣服を整えるのも身だしなみとしては大切だし、朝食もしっかり食べないと朝から頭が働かない。そう思っているからね。多少順番を入れ替えてみたところで、少しだけ効率が良くなったところで大差はない。もはやどこも改善することがない洗練された一連の行為だと思っている。でもそもそも朝活とか朝のルーティンを見直したところで、それが思考停止を防止するようなことには直接的にはならない。けれども面白がっていろんな失敗を繰り返している人は、そのエネルギーが正解主義や前例主義ではないことだけが違うわけだ。一見大きな違いがないだろうと思ってみている中に実は世界が違うぐらいのインパクトがそこにあるね。