人生は楽しむためにある

日々

どうでもいい

どうでもいいことばかりに気を取られて人生の貴重な時間がどんどん失われてしまうわけだ。どうでもいいというのは、どうなろうとも結果それなりに着地するということだ。まだ見ぬわからないことにどれだけ心を砕いたところで、それはどうしようもないことでしかない。それなのに、あなたはとても深刻にそれらを受け止めて、それ自体は真摯な態度でいいとされているかもしれない。けれども、わからないことはどれだけ心配してもわからないし、安心に変わることはまずないわけだ。それはあなたが思考を駆使し過ぎているだけのことであり、いわば思考ができるぐらいに優秀だからそうなる。明日のことは明日の風に任せるというスタンスぐらいがちょうどいいバランスなんだけれども、すべてが順風満帆に行かないと気がすまない完璧主義や正解主義にとらわれるがあまりに、あなたは余計な苦を引き受けてしまっている。

生きるため

生きていくためには僅かなお金が必要であり、そのためにイヤイヤ仕事をしている。それはあなたの思考の世界では仕方がないとやり過ごしているのにも関わらず、別に最悪死ぬだけだと思っていい加減に調整することすらできないね。もちろんだからといってわざわざ困窮しなさいと言っているわけではなく、どうにかなる可能性があるのならばそれほど深刻に考える必要もないね。そんなことよりあなたが好きなことややりたいことをやる時間を確保するほうが優先順位は高いはずだ。ところが、それが逆転していて、やりたいことをやるのは後回しで、とにかくやりたくないことをいかにやり過ごすかということばかり考えてしまっている。そんな人生では悲観ばかりに覆われてしまって、生きることすら苦しくなるのはある意味必然だとも言える。そうではなく、働くことはもちろん大切なことだけれども、あなたはその中で自己実現をしたり、夢を語ったり、楽しく過ごすためにこの世に生まれてきたはずなんだよ。

意味

人生にそもそも意味なんてない。ただ気がついたら生まれて、物心ついた頃から今の社会が出現しているわけだ。そしていずれ終わるとするならば、それほど急がなくてもいいはずだね。人生はもちろんあっという間に終わるだろうけれども、それを知っているにも関わらず全く逆の毎日を過ごしている。起こってもいない不安を現実化して、そうなったらどうしようと常に不安になりながら対応策を考えている。そうではなく、そうなったらそのときに考えればいいだけだから、今は楽しいことばかりをやっていようとすればいいだけのことだ。そんなシンプルでどんな生物でもやっていることすらままならないとすれば、正解主義に染まったあなたにあえて言葉を選んで言うならば、あなたのその対応は明らかに間違いだ。正解は、あなたはこの世を謳歌するためだけに生まれてきたという厳然たる事実だ。だから、ありもしないことをあれこれ考えることをやめて、今に生きるだけでいい。そしてもともとこの世はそうなっているのだからね。