誰もいない世界で
こっちのほうがいい
現状が嫌で、なんとかそれを打開してあなたが望む方向へ進みたいと思っている。そのエネルギーに突き動かされて、少しずつでも今できることを探している。もちろんガラリと世界が変わるほどのパワーがあるわけではないけれども、少しずつでも何かを改善することで、ある一定の閾値を超えたら一気に変わることをどこかで期待している。もちろんそれがいつのタイミングで訪れるかは全く予想もできない。けれどもそれだけを信じて今もコツコツと生きているわけだ。もちろん、その強い信念みたいなものに嫌気が指して、たまにこんなことやってどうなるんだろうと疑ってしまったりもするだろう。心が折れそうになって、誰も得しないようなことに人生の貴重な時間を費やしていていいのかと激しく後悔することもあるだろう。それでもあなたはなんとなくわかっているのは、そんな一見不合理なそれらの中にこそ、本当のあなたの幸せのみならずすべての幸せの扉の鍵があるってことだ。だから一見ムダなことをやっているのにも関わらず、なぜか身体の芯が温かいわけだね。
みんなのしあわせ
あなたが一人犠牲になったとしても、あなたの大切な仲間が幸せになれるのならばそれはそれでいいと思っている。でもそれは本当のところ嘘であることも同時に知っているはずだ。もっと言えば体よくそういうふうに思い込んでいるけれども、実はそのほうがシンプルにあなたが心地よいからそうしているのが実際のところだね。そういう視点でもあなたの幸せはみんなのしあわせでもあり、みんなのしあわせはあなたの幸せでもある。となれば、幸せには境界線があるわけではなく、おそらくはこの世界を貫く大地のようなものだろう。国境や県境に色がついていたりしないようにね。もっといえば、あなたとあなた以外の境界線もあるようでない曖昧なものでしかない。細胞レベルではもちろん細胞膜がその境界線だろうと言うかもしれない。けれども、その膜でさえイオンや必要な物質はやり取りできる透過性のものだから、やっぱり大まかなパーティションがあるだけで厳密に言えば同じように曖昧になるに違いないね。
あなたもいない
そう、あなただと思ってその区切りを探し回ったところで、探せば探すほどあなたがはっきりするどころかぼんやりと曖昧になってしまう。まるであなたがこの世界の一部のようにね。でもそれが真実を表しているのだろう。おそらく言葉の世界で切り取られたあなたがスクリーンに投影されているだけで、そのスクリーンを引き寄せたところであなたは誰かを抱きしめることすらできないわけだ。だって投影された像でしかないわけだからね。おそらくその中で意識しているあなたも同じしくみでしかない。どこにもあなたはいないのに、あなたはあなたを感じていられるわけだから、もうそれだけでマジシャンというか壮絶なイルージョンなわけだ。あなたもだれかもどこにもいないのに、あなたはどこにもいない人たちを心から大切にしている。なんて素敵なイルージョンだろう。そんな奇跡の真っ只中にあなたはいる。もうこれ以上何もいらないね。