後悔の先に

日々

どんなときも

いつも考えてばかりで、ちっとも行動しなくなったあなたに送る言葉としては、すこしぐらいはミスってもうまくいかなかったとしても、とりあえずやってみることが大切だという言葉だね。もちろん、ほらどうせうまくいくわけがないと決めつけるのも問題だ。けれどもそれがあえての牽制球であるとすれば、それはそれで意味がある。ところがそれも行き過ぎると大抵は後悔の念に覆われてしまって、もう二度とまっぴらごめんだという状況になることが多いね。

後悔

後悔するのは、あなたがそれをなんとかできたにも関わらず、何にもしなかったことだ。それがあえてそうしたとしても、思わずそうなったとしても、できることをやらなかったことが後悔そのものとなるわけだね。逆に失敗は後悔とはまた違った体験となる。失敗ばかりするともちろん嫌になってそれらも後悔する対象となる。けれども、全力でやって、精一杯やったことに関する後味はむしろさっぱりしていることが多いだろう。やりきったなにかがそこに広がっているわけだ。

一歩先へ

そうやって、行ったり戻ったりしつつも、今というこの瞬間をじっくりと味わい尽くしている。もちろんそれらの未来や過去を引き合いに出さなくても、何かと比べる癖がすでについている。それで審判員となっているつもりだろうけれども、そんな比較はそれこそあまり意味がなく、虚しさだけがそこに広がっている。そうではなく、そうやって試行錯誤して明日があなたにもやってくる。その選ばれし体験は、奇跡のそれでありかけがえのないものとして分類される。そんな類の奇跡の中であなたは今日も過ごしていることは、疑いようのない事実だ。