減点パパ
100点満点
物心ついたときから、いろんなことを評価しているね。持ち点は100点。ということは、100点の状態が想定されているわけね。そこからミスや失敗をした分減っていく仕組みだね。人にしてもモノにしてもサービスにしても持ち点は100点。そこからミスや失敗や欠点を探してその分をマイナスして計算できるから簡単だね。日々結果を出して、プラスにプラスを重ねている最優秀選手を100点にしておかないと成立しない。要するにかなり理想的で一番完璧な存在を100点と補正するので100点の価値はどんどん高くなっていく。それ以上はないというのが100点だから。ぼーっとしてんじゃねぇと常に言われ続けているようなものだね。だからそこについていくだけでも疲れちゃうね。
余計なことはしない
ということは、決められた通り、忠実に、丁寧に、慎重にことを運ぶことを求められているという意味になるね。合格点を目指すためにはミスをなくす、大きな失敗をしないようにする、右へ倣えになる。みんなと大きく違ったことをするのはリスクになるし、仮に思いがけないプラスになっても100点の基準がより高くなるだけ。だからみんなと自分がどれだけずれているかを常に気にするようになる。当然だね。同じことを同じようにできることが一番大切なことになる。そういう意味では減点方式は優れている。すでに決まったことをミスなく、そつなくできることが一番残りの点数が高くなるからね。
加点方式の方がいい
一方で、減点方式ではなくて、持ち点はゼロ。そこからチャレンジした分だけプラスにしていくという加点方式にすべきという議論もあるね。どんどんチャレンジや改善をしていく原動力になるとされているけれど、実際は評価するのが難しいのでそれほど大幅には採用されていないみたい。あるべき姿が明確になっている減点方式と違って、加点方式でのあるべき姿が定まらないからね。良かれと思ってやったことでも、業績としてプラスになっていないなら評価しにくい。成果を出す、結果主義であれば、従来通りにやって少しだけ加点を狙うという考えが蔓延ってしまうからね。結局は小さく前にならえとなりがち。減点も加点もメリットとデメリットがあるように言われるけれども、実際はどうなんだろうね。
評価そのものが必要か
評価はなんのためにするのか。その根底にあるのは「平等に褒美を与える」という考え方だね。創意工夫をして改善をして結果を出しているのにプラスの評価にしなければ、ずっとがんばってくれないと思うから。逆に何もせず失敗を恐れるがあまりに小さく纏まって事なかれ主義だと、成果も上がらないから組織は停滞してしまう。いずれにせよ、成果は右肩上がりであるのが理想という目標がある。現状維持は負けだからね。人が集まって取り組むときはより大きな成果が求められているというわけだ。そういう一方向の視点がそこにはある。
見ている場所が違うだけ
結局評価なんて見ている方向で見えているだけなんだよね。見たら見える。それだけのこと。全体で見たらプラマイゼロ。見たい方向が評価の本質。それで全てお見通しっていうわけではもともとないことに気づくね。最近ではあらゆる旧来の評価はすべて無駄じゃないのかと気づく組織もあるみたい。そう、そこから見たらどう見えるかだけを語っているにすぎないんだよ。減点パパも最後には満点になるのはそういうわけだね。ちょっと古いかな。