ムダは人生
待つ
現代社会はタイパなどと言って、まさに時は金なりを超えて時は寿命なりという様相だね。時間をムダにするとか、相手の時間を奪うことが一番忌み嫌われることになって、皆が恐る恐るに時間を奪うことに戦々恐々としている。せっかくの映画でも、つまらないところは早送りだし、音楽でも各楽器がソロを演奏するのは皆が飛ばしてしまう。そんな添え物よりも主題はなにかということばかりが注目されて、それ以外はもはやどうでもいいものに成り下がっている。しかしながら人生の本質はタイパではなく、生きることそのものをムダに楽しむことにある。だから意識高くそうしたところで、決して充足した幸せな人生は訪れることはないね。言い方を変えれば、あえて不幸な人生を早送りで過ごそうとしているようなものだ。それはそれで選択肢としてはあり得るので特段好きにすればいいだけのことだけれども、タイパを意識する層はより幸せになるためにそれを選んでいるとしたら目も当てられない状態だとも言えるね。
非同期通信
インターネットが爆発的に普及した一因にもそれがある。電話は相手の時間をリアルタイムに奪ってしまう行為だけれども、メールやメッセージは非同期が故に、好きなときに見てもらえたら良いというゆるいコミュニケーションだ。ところが今ではそれもリアルタイムに処理しないと仕事ができないとか、非人情的な行為だとして揶揄されてしまう。既読スルーとか既読無視とか言われてしまうわけだ。たまたまた通知が来て見たとしても、即レスで返事を書けと強いるならば、それは電話と何ら変わらないことに気がついていない。見てもらったらそれでよしで、手紙の時代のように返事を都合の良い時間にじっくり書いてもらうほうがずっと幸せになれるというのにね。直ぐに返事するのは仕事ができる代表選手のように言われているけれども、その内容は薄っぺらく、それこそ要点のみの返信となってしまうわけだ。そこに遊びや余白は含まれる余地はないからね。
人生の本質
余計な一言があったり、本題とかけ離れた比喩があったりすることで、少しだけニンマリすることができることが人生の本質だ。効率化で無駄なく無理なくすることがよしとされた時代はとっくに過ぎ去った過去だね。もちろん雇用主からすれば同じ人件費を払うにしても生産性が高いほうがありがたいだろう。けれども、それを追及した結果、この国の生産性は他の諸国よりも最下位に近くなっている。生産性は費用と時間だけで計算できると思いこんでいるけれども、実はそうではないということを実際に表しているわけだ。生産性とは十分な余白、すなわち余暇だったり休みだったり仕事以外の充足した生活の中で培われるものであるからだね。それこそ人生の本質を見失っているからそこから脱却できないし、時間で労働を縛り付けるのは工場で大量生産している時代のやり方であって、もう陳腐化していることすら気づいていない。そんな経営者のもとでは生産性が向上するなんて夢のまた夢だろうね。