連綿
今ここにある
ここになにがあるかを知れば、自ずとあなたは充足するしかない。不足はここにないものであり、夢や希望も叶えたい未来だからね。ここにないものであなたは幸せにはなれないわけだ。なら夢や希望を捨てなさいと言うのかというと、もちろんそうではない。今ここにない願望は、いずれここに来たときのワクワク感を今感じているという効能があるからね。ワクワクしているのは過去でも未来でもなく、今であることは間違いない。結局のところ、なにかがあってもなくても今あなたがそれをどう見ているかということしか、あなたを幸せにはできないということだね。だから今が我慢で辛いのならば、同時に感じているワクワクが幸せのもとなんだ。ところがそのバランスがおかしくなって、つらいだけでワクワクが薄れてしまっているのならば、軌道修正したほうがいいね。
幸せの逆襲
足りないからそれを補おうとする。願いや夢は今はそうでないという不足から始まる。そういう意味では不足が幸せの架け橋であるとも言えるね。すべてが充足すれば幸せになれるとなんとなく信じているかもしれない。けれども、本当にそうなったとしたらとてもじゃないけれども幸せとは感じられない状況だろう。すべてが満たされて何も不足しないというのは、夢も希望も何もないということに等しい。生きているのか死んでいるのかすらわからない状況でもあるね。野生の動物は、いつもお腹が空いている。できれば獲物を狙って食べたいけれども、下手に動けば自らの命も危ういわけだ。そこで首尾よく獲物にありつけることができた個体だけが、命を永らえることができる。不足が命の架け橋となっているわけだけれども、それと同時に自らのリスクも同じように抱えている。
死ぬだけ
そう、うまく行かなかったならば、死ぬだけだ。究極にはそうなる。もっと言えばどうせ皆死ぬだけだ。それなのに命をかけて獲物を獲ったり、夢や希望に人生を費やしたりしている。今ここにあるものだけしか、あなたを幸せにすることはできない。ここにない獲物では空腹なままだし、夢や希望だけではやがて飢え死ぬわけだ。それが望むなにかではなかったとしても、それらがあなたをサポートしていることは間違いない。だからこそ、あなたは今にフォーカスすることが生きることそのものとなり、未来や夢は今の彩りとしての役割しかないわけだ。連続した世界の中で、生きるということはすべてがそうやってつながっていることを知るわけだ。そうなると、あなたが狙う獲物も、口にする食物も、すべてがあなたそのものでもある。実は今ここにあるというのはあなただけではなく、あなたをひっくるめた世界そのものであるということだ。そこに実は境界線があるように見ているだけで、幸せとは連綿とつながっている世界そのもののことなんだ。