スマホ依存
どうでもいいこと
情報化社会になって数十年ぐらい経った今、あなたはどうでもいい人に振り回されているね。SNSで誹謗中傷してくる人、あなたとは価値観が相容れない人の意見を見る機会が増えた。逆に言えば、まだ会ったこともない人のいいねが欲しくて、映える写真をせっせとアップロードして自己満足を得ている。いわゆる承認欲求が仮想的に世界の人々という無数の人たちの範囲まで拡大してきたわけだ。いつもそれらを気にするがあまりに、もうその仮想空間の評価に一喜一憂して夜も安心して眠れないわけだ。そんなことは本来どうでもいいことだった時代の方が長かったというのにね。おかしなもので、そうなってしまったらそれがあなたにとっては一大事となって、少し前の人たちには思いもよらなかった新たな苦がそこで生まれてしまった。しかしながらよく考えてみれば、殆どの場合それらは現代社会であったとしてもどうでもいいことだと言える。なぜならそれらがあなたに直接的な影響を及ぼすことはできないからだ。
評価経済
いやいや、現代ではSNSの影響力が無視できないぐらいに拡大していると反論するだろう。まさに最近の選挙戦でもネットワーク上の知名度だったりたくさんのコンテンツを持っている人が、リアルな社会を動かす影響力があるからね。だからやっぱり時代は変わってそこはどうでもいいとはいい難いと信じている。それでも、行き交う情報は主に映像や音声や文字であって、ノンバーバルなコミュニケーションには程遠いわけだ。文字面、絵面ですべてを判断しがちな価値観がはびこっていて、あなたもその例外ではないと思っている。その影響力と評価や人気度がかけ合わさって、ときに社会を動かすエネルギーに変わるようにね。確かにその側面があるけれども、一方でそれらの情報はおおよそ過去か未来のものばかりだね。リアルタイムに情報は駆け巡っているから今だと勘違いしているけれども、もうコンテンツになった瞬間に過去のものでしかないわけだ。それをあれこれと今に置き換えることで不安は拡大するわけだ。そこらへんも織り込み済みのものだからね。
あなたの今
行く先の不安がそこで増幅されるから、余計に見過ごすわけにはいかない。そう思って人生の大半をそれにつきっきりになっている。そうやって情弱にならないようにネットを飛び交うニュースや様々な言説を読み漁っている。それらはあなたにとってはなくてはならないものと化しているだろう。しかしその根本は不安と恐怖から来ている。本来今を生きている動物としての人間にとってはやはりどうでもいいことと言わざるを得ないものばかりだといっても過言ではないだろう。そんなことより、あなたは眼の前のお茶や食事を楽しむ方が本来の生き方だね。小さな板を凝視しつつ、それに支配され、その中のあなたに心を奪われて、今あなたの目の前にある素晴らしく美味しい料理が冷めていくわけだ。それに気づけば、スマホはひとまずしまっておいて、あなたがそれの主人なんだから、あなたが楽しむ本来のスタイルを取り戻すことが幸せになるコツだ。あなたが今を取り戻す一つの小さな方法としておすすめするよ。