巡り巡って今がある
そこにあるもの
人生は苦ばかりで、できればそれらから逃れたいという思いで毎日を過ごしているだろう。けれども、それは人生そのものの本質からかけ離れようとするからそうなるわけだ。そうなるとなぜ人生の本質から離れようとしてしまうのか。そこにヒントがあるだろう。それはいつもあなたはほんの一部のひずみである出来事ばかりにとらわれてしまっているからにほかならないわけだ。何かが変化するとき、それまでやってきたことが通用しなくなったりする。するとあなたの恒常性が崩れて、それをとても大きな負荷として感じている。でも変化しない社会や状況なんてものはないと頭ではわかっているつもりだね。ところが実際目まぐるしく変化する社会や状況に対応するためには、ちょっとしたタイムラグがそこにどうしても生まれてしまう。その瞬間にあなたを悩ませる苦がやってくるだけのことなんだ。
結果オーライ
今振り返ってみればいつも感じるのは、あの無意味な苦しみや不合理な苦労は結局のところあなたの今を形成するためにあったまでだ。それがあなたが大げさに思うほどの影響力を持っているはずなのに、今となってはいい思い出になっていることに気づき驚いてもいるだろう。あんな無意味で不合理なことでさえ、それがあったから結局のところ今のあなたがほんの少し思い出に浸って穏やかな時間を享受しているわけだ。ああ、あの頃は本当にひどかったな、なんてお茶を飲みながら思っている。だから近視眼的に、眼の前の変化ばかりに気を取られてその全体像が何であるかに気がつけば、まぁ今はそんなところだろうと比較的に穏やかに受け入れることができるようになる。そうなると不思議なことに、すべての苦難が泡のようにいつの間にか消えてなくなっていることばかりだね。そう、深刻になるとき、あなたの視点は近すぎるということだということに気がつくことが多くなると、そうやって穏やかに過ごせる時間が増えるというからくりだね。
他力本願
自己努力によって人生を思うように切り開くことにずっと憧れて頑張ってきただろう。それも間違いではない。そうやって手にした喜びも感じたことがあるかもしれない。しかしながらその本質は、あなたのせいではないことは間違いない。いろんな偶然が重なってまさにあなたの視点からは念願叶った状況と等しくなっただけのことだね。もちろんそれを誇らしく思って、それによって自己肯定感が高まるのならばそれも悪くない。ところが自己肯定感というものが取り扱いが難しいもので、特段なにかをしたから得られたものを足し算のように積み重ねるという側面ばかりが強調されてしまうと、それがうまく行かなくなったときの動揺と苦は大きくなりすぎるきらいがあるね。すべてはたまたま与えられたものであり、それらはすでに決まっている物語が進行しているだけだととらえることができたならば、あなたは本来の人生の意味に少しだけ近づいたとも言える。あなたが何かをしているわけではなく、状況が変化することであなたは生かされているわけだ。まるで季節が変わるようにね。