今しか楽しめない
今に見ていろ
最後に笑うのはあなただと信じて、今はその時を待っている。それだけではなく、その時が確実に訪れるようにやりたいことや穏やかな休息を捨てて虎視眈々といつかの幸せのために今を頑張っているね。それこそ苦難の連続なんだけれどもあなたには最後に笑うという希望がある。だからそのために今の苦労なんて取るに足りないと思っている。それ故に今は楽しくないどころか、苦しみの中にいるわけだ。それはちょっとおかしいと薄々気づきながらも、いつか来る大逆転劇のための伏線だと耐え忍んでいるわけだ。そしてそれが本当に訪れるかどうかなんて誰にもわからない。けれどもあなたは確実にそれが訪れるようにとさらなる苦行を自ら強いて、今という二度とこない時間を楽しく過ごすどころか、楽しく過ごしてはいけないと思っているわけだ。
アリとキリギリス
そういうことを裏付ける寓話があるね。一番有名なのはアリとキリギリスだろう。のんびり過ごしているキリギリスに対して、いずれくることがわかっている状況に先んじて対応しているアリの人生観が美徳だとされる逸話だね。この場合最後に笑うのはアリだとされているけれども、のんびり過ごしているのはキリギリスの方だね。どちらがいいとか悪いとかという価値観をそこに押し付ける前に、あなたもアリのように備えているだろう。そちらのほうが人生を大きく俯瞰した場合には得策だと信じているからだね。ところがこの物語には続きがあったとするとどうだろう。困ったキリギリスは誰かに助けを求めてみたら、意外なことに世の中捨てたものではないぐらいの救済の手を差し伸べてもらったりしている。結局のところ結果オーライであるし、たとえキリギリスがそこで死んでしまったとしても、アリが同じタイミングで死んでしまっては目も当てられないわけだ。
未来予想
来る困難に向けて、備える事自体はいいも悪いもない。備えあれば憂いなしという言葉があるように、そうすることで今を楽しむことができればという意味だ。決して今を犠牲にしてでも未来に備えるという意味ではないね。何かあったらどうするんだという危機管理は、今ここという貴重な時間を蔑ろにする傾向にある。それはあまりに極端な二元論に過ぎないことに気がつくだろう。備えておけるならばそうしたらいいだけのことで、そんなありもしないことに気を取られて今が楽しめないのならばという前提条件がいつの間にかなくなってしまっているね。そう、すべては今リラックスして楽しむための方策であって、今を犠牲にしなさいと言っているわけではないわけだ。それに気がつけば、そこそこの備えで十分だし、むしろ備えなんてムダなことよりも今を充実させることが未来につながるという仕組みだ。いつの間にかそれをすり替えられたのは、おそらくあなたをこき使うための口実として利用しようとした誰かだろうね。