本来の居場所
雲の形
青空にぽっかりと浮かんだ白い雲。見慣れた光景だね。だからあなたは即座にその絵を描けるわけだ。雲の形なんて決まったものなどなく、あなたがそれっぽくしたらそうなる。他のものをデッサンするときは、そのものの特徴だけを残しつつデフォルメすることは可能だ。けれども雲だけは適当でなんでも雲になるね。これはダメだという形もないし、色だって白と決まったわけでもない。いろんな色に染まっている雲も実際見たことがあるだろう。これほど青空に浮かぶ雲はある意味掴みどころがないものは珍しいね。広大な山もそれに近くて、それっぽく描くことは簡単だけれども、やっぱり富士山は独特の稜線があり、それがうまく表現できていないとそうは見えないわけだ。
決まった形
一方で人工物である建物や部屋の壁はいつも同じだね。一通りしかないそれらをずっとあなたに見せつけてくるわけだ。一目惚れして買った素敵な漆器も、年代物の激レアな家具も、それが好きだから手にしたわけだけれども、経年劣化こそあれほとんど同じ形を主張している。もちろんそこに価値があるとあなたが判断したからこそ、今あなたのそばにあるわけだ。それでも改めてその魅力を感じることがあるだろう。けれどもしばらくすると風景の一部と化していくだろう。再びそれらの良さに気づくことができるのは、残念ながらそれが壊れてしまったり手放すことが決まった瞬間であることが多い。それまではもはやあなたの一部となっているわけだ。だからそれはそれで無意味であるわけではない。あなたが魅力を感じるものを身近に置いておくという効能は十分に果たしてはいるのだからね。
再放送
同じ映画やドラマを何度も見るのがつまらないと思っているのは、もうネタバレだからだね。同じストーリーを寸分違わずに再生するからだ。毎回放映するたびに結論が変わったりするともう少し楽しめるかもしれない。けれどもそれも、あなたの想定内であればすぐに飽きてしまうだろう。ところが先の雲の形のように、あまりに自由度が高くおそらくあなたが生きている間で同じ形の雲には出会わないとすれば、それらはずっと見ていても飽きないわけだ。自然の偉大さはそこにある。人工物と違って、同じような風景の中に、同じものが一つもないわけだ。里山の村の刺激の少なさに飽き飽きして過ごしていた幼少期に、めくるめく都会の暮らしに憧れていた。ところがやっぱり自然に戻るとホッとする自分がいるのはそういうことだ。しかもあなたでさえすべてが入れ替わっていて、実は同じあなたなんてどこにもいないということに気がついたとき、あなたは雲と同じ自然の一部だと改めて知る。そうすると必ず心が軽くなるのは、あなたが本来の場所に帰ったからだとも言えるね。