無に帰するあなた
心の旅
あなたは実態としてこの世にいるわけではない。もちろんそれは認め難いことだろうけれども、あなたがここにいるという証明はどう頑張ってもできないからだ。しかしながらそんな証明はどうでもよくて、あなたはここにいて毎日いろんなことにまみれてまさに生きていると実感がある。それだけで十分だね。科学的な根拠とか証明とかはどうでもよくて、あなたが今を生きているといえばそれだけで十分だね。もしかしたらすでにあの世にいて、その夢の中の世界かもしれない。もしくはあなたの大いなる勘違いであって、実はすでに終わった世界に思いを馳せているだけかもしれない。でもそれらの客観的な事実はもはやどうでもいいね。この世で良いも悪いも体験しつつ、時には喜び、時は傷つき、時には泣いて過ごしているという感覚だけがあなたそのものであるのだからね。だからこそ、それ以上の苦難は感じなくてもいいと言えるわけだ。
現実の厳しさ
そうであるならば、何故にここまで現実はあなたにとって厳しいのかという疑問を持つだろう。でもそれは厳しいと断定しているのはあなただけなんだ。誰の悪意もなくあなただけがそれをそうだと決めつけているだけのことだね。もちろん他人から同情されるような苦境を生きているのかもしれない。けれどもその誰かもいるかどうかはわからないわけだ。おそらくはその他人もあなたが演出として生み出した虚像だろう。そう、この世に生きていると実感しているのはあなただけなんだからね。誰もがあなたが今ここを生きていると証明することはできないのはそういうことだね。他人を基準にしてどれだけ客観的な事実を積み上げようとしたところで、それもあなたの自作自演だとしたらもはや目も当てられないわけだ。もちろんそれら自体も実態があるわけではないから、それが正しいとか間違っているとかいうことは本来できない。できないからこそ、あなたが決めていいわけだね。
恐怖の仕組み
今ここに生きているという実感と、実はそれは夢の中ではないかという疑いが、あなたに時折訪れる恐怖となる。このままどうなってしまうのかと思える余裕は、実はあなたの夢の中がとても充実している裏返しでもあるね。それはいくらあなたが不幸のどん底であっても、幸せの絶頂でもあっても、それらの本質は実態がないということを薄々感じているから起こることだ。そうやって手探りにあなたの作り出した世界を、一人あなたは冒険をしている。この先はどうなっているのかとワクワクするようなコースを実は事前にあなたはこしらえているわけだ。でもそれを忘れてしまわないと白けてしまうね。だから、本気で忘れることを叶えている。そう、すべては忘却の彼方になる運命だということが真実だね。あなたがこの世において今ここに生きているということすら、いずれ無かったことになるわけだからね。人類の歴史とか世界の構造などもすべては無に帰するわけだ。ということは逆に言えばあなたの世界は無なんだよ。だからこそ好きに生きていいわけだ。