いつもの日々

日々

遠回り

幼い頃、いつもの帰り道とは違って、ちょっと遠回りになるけれども寄り道をしたことがあるだろう。もちろん、まっすぐ家に帰りなさいと大人には言われているけれども、あなたの好奇心はそれを破ってしまったわけだ。そうやって日常での決まり事や言いつけを少しだけ破って冒険したことが、あなたの新たな気づきを得るチャンスとなったりするね。だからといって寄り道や遠回りを推奨しているわけではない。けれども大人になった今でも、ちょっと最寄りの駅より一駅離れた場所から歩いてみるというのもたまにはいいね。気になるお店が見つかったり、普段目にしない風景と発見がそこにあるからだ。そうやっていつもの日常を再確認する要素は、コスパからするとかけ離れたムダな行動だ。もちろん結局のところいつもの時間より遅く帰宅することになるだろうし、その結果、いつもやっているルーティンワークが崩れたりして面倒事を誘発するかもしれない。でもそれもまた人生だと許せるか、後悔して二度とやらないようになるかもあなたが決めることなんだ。

チャンス

もちろんそうしなくてもあなたには常にチャンスが転がっている。ただそれを見逃してしまうぐらいにいつもの日常はあなたにとっては無になってしまっている。いつもの近所の様子でさえ、新しい店ができたことは横目で見ていて知っているつもりだろうけれども、以前その場所には何があったのかを思い出せないままでいたりする。さらには、もっと前にはどうであったとか、そんなことも急速に忘れてしまっているだろう。それぐらい思考停止で自動化した日々をなんとなく過ごしている時間が大半だということを教えてくれている。そんな日常に少しだけ思い出という傷跡をつけようとして、いつもとは違う遠回りをしてみたりするわけだ。もちろんあなたにとってのそれはコストを度外視した非日常となる。でもそれが、あなたに何かを気づかせるきっかけとなるし、仮にそうしなくても実は何も見ていない時間を他の方法で生み出すことができれば結局のところ同じ効果が発揮できるわけだ。

いつもと同じ

見知ったことに関してはそれ以上の考察や気づきは得られないとなぜか思い込む癖がある。それは省エネ運転をしようとする脳の癖でもあるね。あなたが知らない場所へ旅に出たくなるのも、省エネ運転だけをするために生まれてきたわけではないという衝動に駆られるからだ。それすらも極端に億劫になると、もはや病的な状況になって何をやるにも面倒になって社会生活自体が苦になってしまうね。そういう意味では虎視眈々と刺激を求めて街に出ようとする若者のエネルギーは貴重なわけだ。ところが最近ではそれすらもムダだと考える傾向にあったりする。ただ平和に穏便に日常を過ごすことができたなら、それで満足なぐらい豊かさがどの土地においても充足しつつあるからだ。特に何かをしなければならないという思いすら捨てて、手元のスマホで世界の情報を垣間見ることができるし、それこそあまたあるエンタメは一生かかってもすべてを制覇することができないぐらい膨大な量だ。さて、そんな中でも遠回りしてみるというのは、実はさらに希少ななにかであるとも言える時代だね。