とりあえずやってみよう

日々

正解主義

正解はどこにもないのが普通だね。普段あれこれと何がベストかと考えているけれども、その答え合わせはおそらく一番最後に発表されるだろう。そう、すべては道の途中でしかない。その途中の選択肢であーでもないこーでもないと悩んでいるけれども、その解は、あくまでも仮説でしかないわけだ。最後の最後でしか答え合わせができないのならば、苦悩ばかりしていては何もしないのと同じこととなる。だから仮の答えを適当に決めてとりあえず試してみるということの繰り返しでいいわけだ。ところが、その試行錯誤に絶対的な正解を求めてしまうからますます悩みは深くなる一方だね。くり返し言うと正解は終わる直前にしか発表されない。だから、それまでは間違えていても大丈夫だということだ。間違えることこそが正解へ近づく一歩なんだからね。そこを勘違いしてしまうから、日々が憂鬱になり、正解主義にがんじがらめになって最悪の場合は、他人を攻撃することにも繋がりかねないわけだ。

夢中

ということであれば、間違っていようが、正しかろうが、今あなたはそれに夢中になっているかどうかが肝になる。ある意味において夢中になっていることこそが正解への近道だとも言える。真剣にそれに取り組んでいるという事実は、たとえそれがすべて遠回りのムダであったとしても、最終的にはそれに気づくことができることが明白だからね。こんなことしてどうなる、なんて思いながらも、あるいは他人にそんなことしている場合か、と揶揄されているその瞬間こそが生きるという意味において正解に肉薄しているからだね。とにかくそれができているという厳然たる事実は、何事にも変えようがない代替不可能な瞬間だ。その時間は残念ながらそれほど多くないことに気づいているだろう。だからこそ夢中になれることがあるのなら、何ら遠慮せずに大いにそれを楽しめばいい。それが最後にどう判断されるかは、その時を待てばいいだけのことだからね。

ゼロヒャク

どうしてもあなたの癖としては、すべてが百点満点でないと失敗したと拙速に判断する傾向にある。そうではなくさらに数値化、見える化して本当に0点なのかどうかはしっかりと検証してみるといい。すると殆どの場合は、0点などという極端な事例は見当たらない。さらに言えば100点満点ということもないことに愕然とするかもしれない。あなたが満足感を得られる範囲があなたが思っているほど狭くはなく、おそらくは60点から80点もあれば充足しているのではないかな。まずはそこから分析を始めるといいね。それがわかれば、まずは60点ぐらいの不完全な状況からスタートしてみればいい。それが少しでも上がればかなりあなたは優越感を抱くはずだ。あなたが思っているほど満点はない。かといって0点もない。その間で揺れ動いているだけのことだと気づけば、もっと身軽に行動に移せるだろう。走りながら考えるぐらいでちょうどいいのは、やってみないと修正すらできないからだね。まずは後先考えずに走り出してみれば、それまでの不安は一切消えてなくなっていることに気づくだろうからね。