言葉に詰まるとき

日々

言葉の世界

思考は言葉で成立する。だから言葉を失うと思考はできなくなる。ところが、あなたの何気ない発言は、親や大人の誰かから獲得したものであって、自ら言葉を生み出したものは少ないね。そうやって言葉は使い回されていくわけだ。そこではたと気がつくだろう。あなたの独自であると信じていた思考は、実はほとんど誰かの受け売りに過ぎないってことをね。たまに小さい子どもが大人をびっくりさせるような発言に出くわすことがあるね。その言い方はどこで覚えたのかという驚きも同時に感じる。でもそれはおそらくは誰かが言っていたことを真似しているわけだ。だからこそ言葉は大切に丁寧に扱うほうがいい。言葉は肉体的に傷つける直接的な暴力ではないと思っているかもしれない。けれども、実はそれ以上の力を秘めているのだからね。あなたの思考はあなたの世界そのものであり、その思考によってあなたの決断も生まれるわけだからね。

異文化

母国語以外の言語を習得するのに苦労している人も多いだろう。それは言葉の意味を一対一で変換しようとするからだね。だから、受験生は英語での単語の意味を日本語ではどういう意味なのかを徹底的に暗記することから始めている。もちろんそうやって語彙力を高めることで、読み解ける文章も多くなるからだ。そもそも単語から始まって、言い回しや文法をあとから記憶するのは骨が折れるのは当然だ。さらには文字の形や流れ方すら違うわけだから、容易ではないね。それは同じように逆も真なりで、日本語を海外の人が習得するにも、主語自体を省略するような異文化の作法や、文字すら漢字やひらがな、カタカナを混ぜ合わせて記述するなんて膨大な暗記が必要となるからね。さらにここで言う暗記とは、単なる丸覚えでは太刀打ちできないという意味も含まれている。異文化を理解して、違う世界を構築できなければ結局のところ自由に使いこなせるものにはならないのは明白だね。

感情

一方でそういう思考の世界とは別に、感情は対比的に語られることが多い。いわゆる言葉にならない現象を指すわけだ。たとえ母国語に堪能であってもうまく説明できないようなことは、ただあなたがそう感じているなにかがそこにある。もちろんあらゆる言語的テクニックを駆使して表現しようと試みるも、どれもこれもその通りとは言えないものになってしまう。すなわち言語は世界を構築している重要な土台ではある。けれども、そのすべてではなくほんの一部でしかないということがそこからわかるわけだ。すべてを言い表すことができないことの方が多いから、とにかくやれ、とか、文句をいうな、とかそんな言葉で代用しているわけだね。なんか腹が立つとか、なんとなく悲しいとか、何かを表しているようで実は何も言っていないのと同じだね。でもそれが直感だとひっくるめて言うしか言葉がない。そう、言葉にできないその瞬間にあなたの世界が垣間見える。それを言葉にしたら、誰かの受け売りの言葉の羅列に変わってしまうわけだね。