ブラックマンデー再び

日々

大暴落

定期的に起こる大暴落がまた起こったようだね。でもここがチャンスだと虎視眈々と狙っている人もいるし、絶望の淵に立たされてしまっている人もいる。本来未確定な未来に対する投資というのものはそういうもので、あなたはそれらを十分に知っているはずだね。これは手堅いとか、これは冒険だとかあなたの感情のみで選択しているだけで、それらには全く根拠はない。なんとなくそう思っていたことがその通りになったり、ならなかったりするのはとても自然なことだね。もちろん社会情勢を細かく分析していて、まるで予言者のようにすべて的中させていることを自慢げに思っている人もいるだろう。けれどもそれらもまた、たまたまそうなっただけであって、次も同じようになるとは限らないわけだ。だからこそ、あなたは生きている意味がそこにあるわけだし、合理的な判断が必ずしもあなたの思う幸せとは直結しないのはすでに知っている通りだね。

記念日

そういう意味を強く感じてしまうと、まさに今日という日は記念日として記憶されるだろう。でもそれが邪魔になって今後の判断がますます悪化することになる。そういったもうすでに過去になったことに固執することは、流れに逆らうことになるからだね。都合のいい悪いはすべてあなたが決めていることであって、それに絶対的なものさしがあるわけではない。こういうときにもますます勢いづくような人を見て、あなたは羨望の眼差しを送り続けるだろう。けれども、彼らもそれを目指してやってきたと後付の理論を語ったところで、それらに根本的な意味はどこにもない。すべてがそう見たいというあなたの思いがそれを出現させているだけに過ぎないからだ。だからこそ、うろたえたりしても仕方がないので、そのままでいれば冷静にいられるわけだ。含み損とかは確定するまではポテンシャルでしかなく、いわば幻影そのものだということをそこに学ぶことができるだろう。

何も減っていない

何もしなければそこには何も起こっていないのと同じことだ。それはこの世がそういうものだというメッセージをあなたに伝えてくれている。ジタバタしたり、なにか回避策を取ろうとすればするほど泥沼に陥ってしまうのはそういうことだね。普段やらないことをやれば、違う結果が出ることはすでに知っているはずだ。それはあなたがそうしたいからそうしていると言われても、いやいやそんなふうに考えてなんかいないよと言うだろう。なら逆に言えばどうしてそれを安心して見てられたのかという問いに行き着くわけだ。それをきちんと説明できるかどうかにかかっている。それすらも思いもよらなかったというのならば、急に夕立に出くわしてびしょ濡れになったときに悪態をついている状況となんら変わらないわけだ。でもそれはそういうものだから仕方がないということもどこかでわかっているね。急な夕立と今日の大暴落が同じ自然なことだとつながれば、それほど驚くことではないはずだ。