伸るか反るか

日々

至福のとき

至福は今ここでしか味わえないね。いいことばかりで非の打ち所がないような状況はいつも一瞬にして過ぎ去っていく。ところが不幸はなぜかずっと続いているような気がしている。人生において大半がうまくいかないことばかりで、それ故に誰かを妬んだり恨んだりしているわけだ。彼らは一瞬でしか無い至福をずっと続けているようにあなたからは見えるからだね。ところが蓋を開けてみれば、実はそういうあこがれの人たちも壮絶な苦悩に苛まれた人生を送っていることを知る。ほらみたことかとあなたは溜飲を下げるだろう。けれども、それと同時にそう思っているあなたと何ら変わることがないね。誰もが同じ条件で人生を生きている。良いときもあればそうでないときもある。そして良い時は一瞬であって、それ以外はとても大変な時間を過ごしているとすれば、どうしてあなたは誰かに呪詛を言うのだろうね。

特別なあなた

あなたはあなたというなにかにとても肩入れしているがゆえに、あなたが一番でないと気がすまないわけだ。そして、それが叶わないとなるととたんに悪魔に変わる。もちろんそれが結局のところあなたに回り回ってつけが来ることも知っている。それでもそれをやめておこうという気がしない。それは、あなたが人生とはなにかという根本的な本質を見誤っているからだ。誰かの幸せはあなたの幸せであって、あなたの苦しみもまた誰かの苦しみである。だからあなたが気になる人が幸せに過ごしているのならば、心から祝福できるはずだ。ところが、あなたが一番に注目されていないという思い込みから、それを嫉妬するわけだ。幸せとは今ここにしかないし、それと同じようにやってみたところであなたは徐々に不服に感じるだろう。まさに生きることの意味をそこから学べるかどうかという命題を突きつけられているとも言えるね。

不幸の本質

あの人ばっかりいい思いをしてると勘違いしているのは、そういう構造にあるわけだ。気になるあの人がいい思いをしているのを、あなたも同時に感じることができるはずなのに、あなたがはその大いなる流れから切り離すことであなただけがその流れに抵抗する岩のようになっているからそうなってしまう。あなたの幸せはあなたのものではない。そもそもで言うとあなたがいると思っているあなたはどこにもいない。ならば誰かの幸せはもうすでにあなたがそれを見ている段階で、あなたの幸せに違いない。それを素直に受け入れがたいのは、あなたはやっぱり特別な存在として扱われたいわけだ。流れに沿って皆がごきげんに流れているさまを、あなただけは別のどこかでそれを見ている状態だ。そもそも流れることで幸せが訪れるはずなのに、そこから身を引いているあなたには幸せも不幸もなにもない場所にいる。そのことに気がつけば、そこから立ち去って皆と同じ流れに乗れるかどうかが大きな分かれ道になるわけだ。