依存の解消方法

日々

依存

常にあなたはなにかに依存している。いやいやそんなことはないと思っているかもしれないけれども、あなたなりの正しさにこだわっていたり、あなたらしさを一番の動機として位置づけていたり、人にやさしくしようというあなたなりの教義をルーツにしたりしているね。そしてあなたなりの好きなことがあるだろうし、あなたなりのできれば避けたいこともあるだろう。それらはすべてなにかに依存することでしか成立しないことに気づくだろう。そうだから、もしかしたらそうではない別の世界があるかもしれないと思い始めたら、あなたは途端にどうしていいか迷い始めるわけだ。そしてそういった依存の根本原理は、それが心地よいからだと勘違いしている。実はそうではなく、やむを得ずそれしかないという消極的な理由からなんだ。快楽を求めて麻薬に溺れると思っている人が多いだろうけれども、実は普段の苦悩を紛らわせるためにその依存は生まれてしまっているわけだ。

まだましなこと

例えば現代の子どもたちが、勉強をするよりもスマホでゲームをしたりするのはそれが楽しいからなんかじゃない。それは勉強よりもましだからやっているだけで、勉強を手放せばやることがなくなって手持ち無沙汰だから、仕方なく暇つぶしのためにやっているに過ぎない。そんなことであれば、すぐに他のなにかに興味を持つことができれば、すぐに解消するぐらいのものだね。ところが、その他のなにかが見つからないから、ますますゲームに依存するわけだ。大人の場合でも、仕事終わりの一杯は至福のひとときだと感じているだろう。けれどもその本質は、仕事以外に夢中になるなにかがないために、苦痛を紛らわせるためだけにそうしているだけなことが多いね。暇な時間を労働という苦痛で過ごすぐらいならば、パチンコや博打をしてワクワクドキドキしている方がましだからやめられないわけだ。すなわち依存とは積極的な理由ではなく、むしろ消極的な動機でそうなってしまっているわけだ。

脱出方法

だから、逆に言えばなんでもいいから楽しめる何かに気にせず時間を割くことがその解消方法となるわけだ。別の楽しいことをどんどん増やしていくことができれば、気がついけばいつの間にか依存から離れられるね。むしろ苦悩を和らげるために依存している構造を知れば、それがダメなことだから自己を律してやめなければならないと思えば思うほど、その苦悩を増やしてしまうことになる。そうするとその苦悩を和らげる何かをまた探してしまうわけだ。だから依存から脱出することがますます困難になってしまうわけだね。一度そうなってしまえば繰り返してしまう原因はここにあるわけだ。そういうときこそ、別の世界を構築することが必要で、かつそれが苦悩に満ちた世界であってはならない。最高の快楽ではなく、心地よく快適な空間に身を置けば、苦悩から一旦は離れることができる。だからそういう意味でも、依存の構造をまずは理解することが唯一の脱出方法の足がかりとなるんだよ。