楽しんでいるかい?

日々

楽しみ方

いつもあれこれとやらなければ生きていけないことに追われて、本来のやりたいことをやる時間がない。だからこの状況が終わったら、必ずやろうと思いつつ今はそれをしていないわけだ。だから次の休みまで、なんとか楽しみを保ちつつ今やるべきタスクを無表情でこなしている。もちろんその方が楽しみという部分ではワクワクするいい方法だし、そのおかげでちょっとした面倒事もらくらくとこなしていける力が出ているのかもしれない。よく言われるように毎日が日曜日で、ずっと無限に何でもやっていい時間が生まれたなら、そこは楽園になるのかと思えばその反対で地獄のように感じるというのはそういうことだね。すなわちこのことが示唆しているのは、やりたいことはちょっと制限されているぐらいがちょうどいいということだ。腹いっぱいにご飯を食べたいとずっと思いつつも、普段はそうはいかないとして、それが一月に一度だけ叶うとすれば、それはもう至極の日となり、いつもソワソワして待ち遠しくなるに違いないね。

ストイック

そのために普段の自分を追い込んでいくこと自体に快感があることに気づく人もいる。四六時中好きなように生きることはすぐに飽きてしまって、それ以上の刺激がないともはや楽しめなくなってしまうことを知っているわけだ。それはまるで草原の真ん中で立ちすくんでいるようなもので、あなたはそこからどこに向かって走ってもいい状況だけれども、どこに向いて走ったところで景色はそれほど変化せずについに走り疲れて倒れ込んでしまうだろう。もちろん、その場所でさえ素敵な光景がずっと続いているだろうし、路傍の花たちはあなたを祝福するかのように咲き誇っているだろう。まさに理想の楽園には違いないんだけれども、それがあまりに広大すぎて皮肉にもあなたはその中で自分を見失ってしまうわけだ。だからあえてあなたは砂漠の世界に自らを置く。そしてどこか遠くにあるオアシスを求めて歩き続けることをわざわざ選んでいる。そうしてようやくたどり着いたオアシスで最大限に楽しむことを楽しみにしているわけだね。

エンドレス

そう、この世はエンドレスだからこそ、自ら区切りをどこかに設定しているとも言えるね。走り続けることは最初は楽しいけれども、やがて気力も体力も尽きて苦行に変わってしまう。かといって歩いてすぐのところに素敵な場所があったとしても、すぐに辿りついてしまっては物足りないわけだ。少しだけ負荷がかかる距離にそれがあるのがちょうどいい。でもこの世の実態はじつは広大な楽園そのものだと言っていいね。どこでも奇跡が起こり続けて、どんな状況でも素晴らしい世界が見え隠れしている。それらのどれを選んでもいいのだけれども、できればその喜びを最大限に感じたいというのが生きているという爪痕を残したいという本能的な反応だろう。いつかこの夢が終わるまで、そうやってあなたなりの幸せメニューを自らお膳立てしなければ、結局のところ不幸にはなれない場所で、もっと楽しんでおけばよかったと後悔することを知っているからだ。あなたが切望する幸せや楽しみは実はそういうからくりなんだ。