主役はあなた

日々

生きる力

大変革の時代に突入して、のんびりと旧来のことをやっているだけでは生き残れないと言われて久しいね。確かに人口プラミッドも高度経済成長期に比べたらガタガタだし、何よりも次世代の若者が急速に減少している。今は高齢者がたくさん長生きしているので一見何も変わっていないふりをしているけれども、あと10年も経てば状況は大きく変わるのは間違いないね。これまでできていたことがとても困難になってしまうのは、それまでそういう状態を想定して社会システムを構築・設計してこなかったからだ。そういう意味では未知の領域に踏み入れてしまうわけだ。けれども、周りを見渡してもそれほどあなたにとっては激変するような兆しが見つからない。だから、これまであなたの経験則が前例主義としてまだ通用すると思い込んでしまっているわけだ。たとえそれが起きたとしても、それ以外のベストな方法を想像すらできない状況では、とりあえず旧来の既知の方法を備えとするのはある意味仕方がないのかもしれない。

教育

これからは、誰かの指示に従順に正確に従う能力ではなく、未知の世界を生き残る知恵が必要となるだろう。けれども、相変わらずの教育現場では少しずつ変わり始めてはいるものの、あくまでそれは異例で少数のことであり、多くはこれまで通りに公共の教育機関に通わせるしかない。そこで相変わらず暗記力が試され、それをクリアすることで偏差値というよくわからない値で評価され続けている。一方で世界基準で見れば、すでにそれらはこの国だけの基準と化して、どんどんその価値が減少しているのは事実だ。でもそれを知らないふりをして、未だに先生の指示に従ったり、上長の意図を推し量ったりすることが有能とされ、それ以外は無能だと烙印を押されてしまうことを続けている。なんとなくそれではやばいのではないかと思いつつも、かといって代替策を大胆に取れるほどの能力すら奪われてしまっているから、もはや八方塞がりな状態だとも言えるね。

温故知新

旧来の教育に思いを馳せて、それ以外を認知することすらできない親や大人は、今の若者と真正面から対峙することすらままならない。まるで腫れ物に触るが如く、何かをすればハラスメントになるのではないかとビクビクしているわけだ。一方で若者も自分の考えで行動をして怒られるのならば、きちんと指示を出してくれという考えに染まってしまって、世の常である若者が社会を揺るがす反抗心すら奪われてしまっている。もはやこの国の行く末はどうなるのか、どうすればいいのかすら議論の俎上に上げることすらタブーとなってしまっている感が否めないね。まぁ、それはそれとして、あなたは自己決定して失敗をたくさんして、嫌われる勇気を持てばいいだけのことだ。怒られたり叱られたりすることは、あなたが思っている以上にどうでもいいことであり、取るに足らないことなんだよ。それよりもそれがむしろ勲章となっていくのは、自己決定したという経験をたくさん積むことで、やっぱり世の中を変革するエネルギーになるのだからね。人の目なんてあるようでないのだから、あなたはあなたが決めたことを粛々と実行すればいいだけのことなんだ。