すべてそこにある

日々

平穏

何事もない日々を過ごしていると、つまらないという感情が湧いてくる。かといって、激動の日々を過ごしていると、なんてついてない人生なんだと自らの境遇を嘆き悲しんでいる。あなたは基本的には自己中であり、わがままな存在でしかないと言わざるを得ないね。それでも、火中の栗を拾うようなキリキリとした日々を過ごすよりも、何の変哲もない穏やかな日々を過ごしている方が、世界は平和で安定しているに違いない。ようするに退屈になるぐらいなにもない世界であり、それはあなたがそうであるからそれが出現しているわけだ。となれば、不穏な世界もあなたが落ち着いていないからそれを生み出しているとも言える。だから、平穏な世界を心から願うのならば、まずはあなたが何気ない日常を過ごしていることが大前提となる。すなわち、あなたが波乱万丈の乱世だと思えば現実にそうなるし、あなたが何事もなく平穏な世界だと思えば実際にそうなるというわけだ。

視座

あなたがどこからこの世を見ているかで、それほどまでに評価が二分する。それと同時にこの世は天国なのか、それとも地獄なのかも決まってしまうわけだ。おそらくあなたの理想を叶えるとすれば、ほどほどにヒリヒリした緊張感がありつつも、おおよそは平穏な日々を望んでいるだろう。そしてそれが実はもうすでに叶っていることに気がつくだろうか。地獄絵図ぐらいのひどい世界に見えるときもあるけれども、それは四六時中そう見えるわけでもなくいっときのことだね。その一方で自身の成長という視点で俯瞰すれば、なんてことのない平凡な日々に見えている。なんて当たり前のつまらない人生だったんだろうと嘆き悲しんでいる。でもそれらも実はほんの一瞬を切り取っただけの評価の一部であり、すべてがそうだといい切れるほどの説得力は持たない。すなわち、あなたが今どこの視点で世界を見ているかだけに依存しているだけの話だね。あなた自身がこの世を評価するときは、とても限られた一瞬でしかないことを注意しなければならないわけだ。

希望

ないものがあるようになるのが欲望であり、いい意味で言うと希望や夢となる。いずれにせよ、今すでにあることはガン無視している状態であることに間違いはない。ところが今に目を向けなさいと先人の教えは、そうすることですでにあなたには数え切れないほどの希望が実現していることに気づかせる意味だね。不平不満を言えるということは、それを言うだけの余白が残されているということで間違いはない。本当に差し迫った危機が襲いかかってくるときにそんなことは考えすら及ぼないからだ。とにかく生き残るために反射的に反応せざるを得ない状況が本当にあなたの身に降り掛かっているのならば、決してそんな風にはならない。だから、不満や不平や文句を言える事自体がすでにあなたのほとんどの希望は叶っている証拠でもあるわけだ。もっともっとと欲望に支配されて、それが叶えば幸せになると思い込んでいるけれども、それは全くの嘘であることが、そうして今証明されているわけだからね。