概念と実在

日々

摩訶不思議

この世はよくよく考えてみれば、摩訶不思議なことだらけだね。あなたが不幸だとか不満だとかいつも感じているにもかかわらず、でもこうして今をなんとか過ごしていることだったり、たまにしかないけれども、とても幸せな気分に包まれる出来事が思いがけなく起こったりしている。もちろんそれらはいつもそうであるわけではないけれども、それでもあなたはこうして生き延びている。いつどうなってもおかしくないと思いつつも、それがまだ起きてはいないしそれどころかあなたを愛してくれている少しばかりの仲間もいないわけではない。もちろんそれは打算でそうしているだけだと疑うこともあるけれども、かといってどう考えてもそうではない矛盾したことも含まれているわけだ。結局のところあなたがこの世界を信じるか、それともすべてを疑うかでどう感じるかが決まっているわけだ。そう思うとやっぱり不思議な世界だと改めて感じることができるだろう。

悪いこと

ほとんどがあなたの望みとは違うことばかりなんだけれども、それはあなたがずれているからかもしれないね。大いなる流れをいつも正確に掴んでいるわけでもないことは知っている。あなたの望みとは裏腹に起きてしまった最悪な事柄も、それらがあるからこその今となっているのは疑いようがない。できればもっと気楽に過ごしたいものだと思っているから、それらはすべて最悪だと悪態をついている。けれども、もしそれらがなければあなたは完全体としての幸せを噛みしめることができるかと問われると急に答えに窮するわけだ。なら、あなたが望む世界とは一体なんだと改めて考えてみれば、そんなものがあるとなんとなく思い込んでいるだけで、実はどこにもなかったりすることに気がつくね。これまたあなた自身もないものばかりを理想として、あり得ない世界を望んでしまっているだけのことだ。それがわかればあなたのクソッタレの人生は、それほど悪くもないことを認めざるを得なくなってしまうね。

何を見ているのか

あなたは一体これまで何を見てきて、何を望んでいるのか。この問いに対しての真摯な内省をしたほうがいい。そうすれば、ほとんどは思考という幻の産物であって、それが叶わないのは当然のことだと気がつくだろう。もっと豊かな人生を送りたいと思って頑張っている。でもその豊かさは一体何を指しているのか。お金がたくさんあれば好きなことができて、嫌な仕事に汲々とすることもないとぼんやり思っているからそうなっているだけで、実はお金が多い少ないはあなたの幸せとは全く関係がないね。もっとあなたを愛してくれる人がたくさんいたほうが幸せだと思っていることも同じだ。それは人数の多さで決まるわけがないのもすぐにわかるだろう。もっと注目されていい評価を得たいと思ったところで、いい評価を維持するための犠牲はむしろマイナスだったりもする。幸せとはあなたが決めることなのに、すべては誰かの借り物だからそうなるわけだ。しかもそれが万が一誰かの悪意で洗脳されているとすれば、あなたはこれからどうするだろうね。