みんな仲良くしないでいい

日々

仲間

あなたは本当の友を探している。できれば嘘やごまかしがない関係がいいと思っている。それこそ気のおけない、素直でいられて自らの強みも弱みもすべてさらけ出したとしてもそれで足元を掬われたりされないようなマブダチがほしいね。ところがそんな仲間を例えば職場に求めたところで、それは土台無理な話だね。利害関係で成り立っている組織において、そんな義理・人情・恩で語られるような浪花節は、かえって格好のターゲットになるのが関の山だからだ。自由競争が経済的な再分配を最適化すると新古典派経済学者たちはこぞってそれを良きものとして説明してきた。だから、常に誰かに打ち勝つための動機であり、それが原動力となってすべての行動が規定されているわけだからね。あなたの脇の甘さが命取りになるのは、もやは自明のことでしかないね。

本当の仲間

なら、そんな利害関係がない全く別世界の人と親友になればいいと思うだろう。ところが、残念なことに仕事以外でもマウント取り合い合戦になりがちだね。どっちが幸せかと争うのならまだしも、どっちのほうが苦労しているとか不幸だとかというついてない人生自慢がそこで繰り広げられてしまうわけだ。だから、一見なんの関係もない人との交流を深めたところで、まずだいたい似たようなことでがっかりするわけだ。もっと言えばすべからく誰にも悪意がそこには見当たらない。そうではなくて、これまでにコミュニケーションとか人と仲良くということをそうやって教わってきたに過ぎない。逆に言えばそれ以外の正解を知らないが故に、結局のところ人と交わるにはどちらが偉いかという前提条件しか知らないわけだ。

涙も枯れ果てる

あなたが勝手に信頼するから裏切られるし、あなたがマブダチだと期待をかけるから、結果的にあなたの描くストーリーとは全く違うなにかが始まってしまうわけだ。そして、それを必要以上に衝撃な過去として引きずってしまったりしているね。波乱万丈の人生の方が、なんとなく誰かにマウントを取りやすいと感じているのがその証拠でもあるね。幸福でマウントがとれないのならば、不幸自慢でとってやろうと考えてしまうのも、ある側面からは無理もないこと、したがって同情してしまったりする。そうではなく、なんの根拠も由来もなく、ただただ単なる思いつきとして、信頼や絆なんて捨ててしまった方が、皮肉なことに真の友ができたりする。それぐらいかけ離れないともはやそういう幸せを内包する関係性は構築できない時代に突入してしまっているわけだよ。