正義という暴力

日々

シリアス

きちんとすることがいいことで、何事にも妥協なく真面目に取り組むことがあなたのポリシーになっている。不真面目はだめで真面目はいいなんていう価値観の根拠を掘り下げてみたらわかるだろうけれども、何を持って真面目かそうではないかの基準が曖昧だね。なら善悪は明確な区分があるだろうとか、正義と悪はどうだろうとか、あなたがこれまで当たり前に思っていたそれらをそれこそ真面目にその境界線を探してみるといいだろう。そこでの結論はあなたが期待していたものとは大きく異なり、どれだけ思考をめぐらしたところで、明確な分水嶺があるわけではないということに行き着くわけだ。そこであなたはとても不思議な感覚になるだろう。あなたが信じて疑わなかった正義や善やそれにまつわる真面目さなんて、どこにも存在しなかったということ。そしてそれらはすべてはあなたが作り上げた幻影であって、実在するわけではない概念に過ぎないという驚愕の事実にふれることになるわけだ。

スペクトラム

それらはグラデーションのように連続したものさしでしかなく、しかも端っこさえ概念であり数量化できるものではない。悪さ100と行ったところで、その究極の悪とは一体なんだろうか。もちろん思いつく限り実例をあげてみてもいいだろう。大切な人を裏切るとか、誰かの命を奪うとか、大切な資産を盗むとか、色々思いつくだろう。意味のない戦いを仕向けてそのために積みのない人々を苦しめるとか、そういうのは極悪だと思っているのもあなたの思いつきというよりも、法律やルールでそうなっていることを知っているからに過ぎない。さらに言えばそれが妥当なのかどうかも常に疑問に思っているわけだね。動物としての人間としては、その生命活動を奪うことが最も重い罪となるのは、ある意味生物としての限界だね。でも精神的な思いとしてはそれで皆が納得できるのかという問題は未だ未解決だ。だから極刑が必ずしも宇宙の真理とならないのもそういうことだね。さて、あなたはその中での善悪に従って今日も行動規範として受け入れているわけだ。

成敗

悪いものを正義の力でやっつける。それでまた平和で正しい世の中に一歩近づいたと皆が安心する。そんなアニメやドラマを見てきた。幼い頃から悪者は懲らしめられて、それを遂行する正義の味方が登場するストーリーを無条件に受け入れている。それに対して、それは間違っていると言える情報すら持ち合わせてはいない。どうやら無検証にそれらは受け入れざるを得ない状況のようだ。悪いものはたとえうまく逃げ切ったとしても、いずれ罰を受けるという掟が、あなたを守っていると信じているね。ところが、現実を見ればどうだろう。成敗されるはずの人たちがなぜかトップに君臨し、彼らの手下としてあなたは動かざるを得ない状況に感じている。そこに憤りの感情が生まれたとて、いつまで経っても正義の味方は現れないわけだ。ならあなたが正義ヒーローになろうとして、その正義という暴力は他の思いもよらぬ人に罰を与えてしまったりする。どうやら正義も悪も遂行すれば同じ暴力的なエネルギーがその正体のようだね。取り扱いには気をつけないといけないものだ。