無関心

日々

好きの反対は無関心

特に災いごとが起きていると認知したとき、それを無視するわけにはいかないね。ところがそれにフォーカスしてしまうと、さらに心配になってしまうので意識的にそれを無かったことにしたくなる。けれどもそれは、さらにそれを意識する羽目になるから、逆効果にしかならないだろう。車が目の前を通過しているのに、それは幻想だと思いこんでわざわざ無視してしまうと車に引かれて大怪我をするね。そうではなく、無関心というのは無意識的にそれを避ける行動のことだ。後々考えてみれば、それでよく運良く助かったななんて思い返すことがあるだろう。無関心と無視は全く持って同じように思っているけれども、実はその本質は真逆だということがわかるだろう。あなたが好きなものにはとても意識的にそれを見ている。逆に嫌いな存在も同じように意識的に見てしまうわけだ。ところがあなたが好きでも嫌いでもないことに関しては、意識はそこに向くことはないね。

嫌なこと

だから、嫌なことや嫌いなこと、まるであなた不幸のどん底だと思っていることは、実は好きなことや望むことと同じということだ。にわかには信じがたいだろうけれども、あなたがいつも感じている不幸は、実はあなたが常に集中して見つめているからに過ぎないことだ。逆に好きなことばかりで埋め尽くしたいと思っていても、嫌いなことも同じように埋め尽くされてしまうのはそういうことだ。すなわち好き嫌いは不幸の元凶だと言えるね。好き嫌いがあれば必ず不幸がないと好きがなくなる構造となっている。だから本当に幸せだと感じたいと思っているのならば、その好き嫌いを手放すことが必要なんだ。いやいや、好きなことばかりをやるから幸せと感じるのであって、それすら手放したりしたらなにもなくなってしまうと思い込んでいるだろう。ところが皮肉なことにあなたがそうした幸せを手にしたいと思えば思うほど不幸という影がどんどん色濃くなってしまうというわけだね。

無心

あなたの不幸の元凶がなんと幸せばかりを望むことだと知ったとき、あなたはどうするべきだろう。もちろん世捨て人のようにすべてに関心を寄せることがない人生を送りなさいと言っているわけではない。強烈に好きなことがあるのは避けられないし、それをどう頑張っても無関心になってやり過ごすのは無理なことだね。だから、好きをどんどん増やせばいいし、それに対して無視したりして不自然な態度を続けなくても大丈夫だ。その仕組さえわかればあなたは不幸だと思っている時間さえ愛おしく感じられるようになる。うまくいかないからうまくいったときの喜びはひとしおだし、望むものを手にしたときの喜びはそれまでどうしても手にできなかった時間に比例するわけだからね。そういうふうに俯瞰することができれば、幸せも不幸せも同じ価値のあるかけがえのない時間そのものだと気づくだろう。そしてそうなったときに、初めてそれらをまとめて愛することができるわけだ。本当にそれらを受け入れられたとき、あなたは究極にそれらに対して無関心になれるということだね。すべてがあなたのためにあると言うことなんだから、何があっても無意識に対処している状態になるのだから。