夏の草いきれ

日々

誰かのため

あなたの幸せはあなたのためにはなく、誰かのためにある。これは幸せの正体と言ってもいいね。自分だけの楽しみが幸せだと勘違いしているだろう。それも実は無理もなく、そう思わせる仕掛けがあちこちに散りばめられているからだ。現代の資本主義の世の中では、お金をたくさん持っていることが究極の幸せの前提条件だし、友達の誰よりも贅沢品に溢れた生活がそれだと思いこんでいるし、そのための努力もしないような人たちに対して、自業自得だの自己責任だの怠惰だのと見下す仕組みにある。知らず知らずのうちにそれが幸せなんだと何度も吹聴されることによって、今のあなたを構築しているからだ。幸せは個人的かつ主観的なものであって、その量とか質とかという測ることができるような物質的な何かではない。でもそれだとどっちが幸せかという背比べができないから、お金の多寡によって幸せ度合いが決まるように仕向けられているだけのことだね。

テーマパーク

夢のような世界をお金を払うことで手にすることができるのが、現代の余暇の過ごし方であり、ストレス発散の場であったり、楽しさを感じるための投資だと許せている。逆にそのものさしにあてはまらない幸せな存在は、もう邪魔になって鬱陶しくて仕方がないだろう。だから自然にそういう人たちを陥れる罠をしかけて、その罠にかかっているかどうかを確かめに行くことがあなたの楽しみとしてすり替わっているわけだ。いい暮らし、いい役職、いい給料がまさにその基準であり、それのどれもがないような人は、そもそもその場から消し去ろうとするね。悪意があってのことではないけれども、ならそこに無償の愛が存在するか、それによる幸せがそこにあるかどうかが本質を見破る突破口となっている。かなりそれはいつでもどこでもオープンされていて、特に目立ちにくとか隠されてしまっているというものではなく、あなたがそれを覗き込めばいつでも見られるようなものだ。

自我消失

あなたが幸せもなく、不幸でもなく過ごしているときは、必ずと言っていいほど自我、すなわちあなたが消えている状態だね。もうその場所に一体化していて、一見溶けてなくなったかのような状態となっている。そのときこそが幸せであり、しかもその一体化するぐらいに没頭していることといえば、あなただけ幸せに慣れますようにとか、あなただけが富を独り占めできますようにとか、まぁ、言葉にするとおぞましいけれども、今まであまり意識してこなかったことに気がつくだろうね。そう、幸せの正体とは、あなたが求めるものではなくあなたが与える行為そのものの中にあるわけだ。あなたがそのままですべてを受け入れるとき、同時にあなたは不幸自慢している人も含めて受け止めている。その前提条件に生まれるのがその先の幸せの実感だね。少なくとも、テーマパークの年パスを手に入れて、その元を取ろうという邪な考えを持って、アトラクションを楽しんでいることではないそんなものはまやかしの幸せだと断言してもいいぐらいだね。