感謝を膨らませること

日々

ありがとうの中身

できればお金はたくさんある方が安心だとか、資産は多ければ多いほうがいいとか、モノがあふれるぐらいが豊かだとか、その中に本当の幸せがあると思っている。ところがそれは見当違いで、そういうお金やモノや誰かに尊敬されたり、羨ましがられたりすることを大きくしてしまえば、それと同時に心配事や厄介事も増えてしまう。その一方で、ありがとうと思う場面や状況を増やす方が、実はあなたが思う幸せ一杯の毎日を送ることができることも知っている。お金やサービスを得てありがとうというのもその一部だけれども、それは本質を捉えているかと問われたならば、先の心配事の種にもなりうる。だからそれにかかわらないありがとうという感謝の念の方が、余計な心配事を増やさないという意味では最強なんだ。持て余すぐらいの財産を手にしてしまうのは、そういう意味では結局のところ不幸と背中合わせとなり、何も持たざるものであっても感謝で満ち溢れている方がずっと幸せになれるはずだね。

膨張

あなたが思う欲望は、不足をエネルギーとして膨らみ続けてその限界を知らないわけだ。すなわちもっともっとと欲しがる行為は、その先のゴールをどんどん遠ざけていくことと同じだね。だから地位や名誉や財産を膨らませることは、あなたが切に願う幸せとはどんどん離れていく行為そのものとなる。そうではなく、ありがとうという感謝をどんどん膨らませると、それによって得られる物質的ななにかはないけれども、不思議なことに何も持たなくても幸せになる階段を着実に登っているわけだ。しかもそれも際限なく膨張させることができて、かつ、心配事や厄介事も同時に薄まっていくことになる。あなたがいつも願っている夢や理想は、果たしてどちらの方だろうか。お金が増えることで束の間の安心を得ようとすると、その副作用としていつかなくなってしまう恐怖も同時に発生する。けれども、ありがとうということをどんどん増やすことは、同時に笑顔でいられる時間が増えるだけで、厄介事が減っていくのだからね。

愛の中身

愛情とか感謝では飯が食えないと言う人がいる。確かに仙人のような桃源郷の住人ではないのだから、お金で飯を買わないと生きていけないのはその通りだ。けれどもあなたはどれだけたくさん食べようと頑張ってみたところで、そこには限界がある。だから逆に言えばあなたが生きながらえることができるだけの交換価値としてのお金だけあれば良くて、必要にして十分であればそれ以上は分け与えてもいいわけだ。かつての暮らしではあなたが独り占めしようといくら食料を溜め込んだとしても、自然の力によってそれらは腐敗して食べることができなくなってしまう。現代ではもっと贅沢になって、旬のものを美味しくいただくためには、ほんの僅かな時期にそれを食することがグルメだと評されるわけだね。そのことが表すように、その時々で一番穫れる作物を安く美味しくいただくことができるようになった。それで十分豊かな暮らしとも言えるわけで、それ以上の余分を持つ意味はどこにもないわけだ。